「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」
鴨長明の『方丈記』はご存知ですか?
「そりゃ、知ってるよ!馬鹿にするんじゃない!」と思われますか?
そうですよね…(笑)あまりに有名すぎます。
では、この作品が日本の「災害文学」の金字塔であることはご存じですか?
これが意外と知られていません。ほとんどの人が、方丈記を晩年の長明の閑居生活を通じて見えた「無常観の文学」とだけ認識している気がします。
京都下鴨神社の重代の社司の家に次男として生まれた鴨長明は、その一生涯で本当に多くの大災害に見舞われています。
『方丈記』の中で鴨長明は、人災を含めた5つの災害を取り上げその経験談をリアルに描き出しているのです。
【1】安元の大火
鴨長明は、この大火事を克明にレポートした後、こう締めくくっています。
「人の営みみな愚かなるなかに、さしも危ふき京中の家を造るとて、宝を費やし、心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍る。」
(ひとのやることなすこと全てが愚かしい。そんな危険な京の街中に家を建てるために、財産を費やしたり、心を悩ませるなんて無意味なことである。)
「都会に高層マンションばっかり作ってるヒト〜、聞こえますか〜(笑)」
【2】治承の辻風
これは今日でいう「竜巻」だったらしいですね。
鴨長明は、こう言っています。
さるべきもののさとしかなどぞ、疑い侍りし。
つまり…「神のお告げかおもた〜!」って、ゆうてます〜(笑)
しかし、この竜巻に触発されたかのように、この年の8月に源頼朝が挙兵。
9月には木曽義仲が挙兵します。平家滅亡へのカウントダウンですね。
【3】平清盛による突然の福原遷都
ここでは鴨長明は、実際に福原(今の神戸市兵庫区)まで足を運び、
「古都は荒れて、新都はならず。」
と、人民の納得を得ずに強引に専断した清盛を痛烈に批判しています。
どこかの国の政治家みたいですな〜。
【4】養和の飢饉と疫病
ここでは、死骸にまみれた京都の目を覆いたくなるような悲惨な光景や、
死体の数を数えて回る仁和寺の隆暁法印という人のエピソードなどが生々しく描かれています。
【5】養和の大地震
ここでは、まず大地が揺れるなどとは想像もしていなかった長明の驚きや絶望感、
そして激震が止んでもなお続く余震への恐怖が生々しく描かれています。
ここでの印象的な言葉としては…
「人みなあぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えし
かど、月日重なり、年経に後は、言葉にかけて言い出づる人だになし。」
(誰もが天災に対して世の無常を感じ、現世の欲望や執着は少しは薄らぐかに見えたが、月日を重ね、歳月がたつと、話題にする人さえいなくなった。)
と、いう一文ですね。
毎年、3月11日が近づくと「絶対に風化させてはいけない」といった報道が溢れ、僕も当日は黙祷を捧げます。
しかし一方で、相も変わらず都心部では高層マンションや高層ビルを作っていますね…人間って馬鹿なんでしょうか…
人の営みの崩壊現場を目のあたりにした長明は、若い時期に多くの災害を経験し、
30年近い歳月を経て『方丈記』を書き始めた時も、被災地の悲惨さの記憶は鮮明だったのでしょう。
一方で、長明はどんな大きな災害でも、やがて全ては過去の出来事になってしまうものという諦観もありました。
そこから日本の思想の底流となる『無常観』が導き出されたわけです。
阪神淡路・中越・東日本・熊本と大震災を経験し、今なお避難所または仮設住宅での生活を余儀なくされている方々は沢山いらっしゃいます。
災害大国日本に住む私達は、この『方丈記』をもう一度真剣に読み直す必要があるのではないでしょうか。
まさに、日本人にとっての〝一生モノ〟の文学ですね。
【参考文献】
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