インド伝統の綿織物
〜インディア・マドラス物語〜
確かな夏の気配を感じ、クローゼットの中を漁ると…
まるで「今年もやっと俺の出番か…」と言わんばかりのドヤ顔をした〝あいつら〟がいます。
〝インディア・マドラス〟の洋服たちです。
こんにちは。
もうすぐ夏ですね。皆さんは夏にどんな素材の服を着ますか?
ユニクロの「AIRism」や「COOL MAX」などのいわゆる冷感素材が次々に開発されている現代ですので、様々な選択肢がありますよね。
ちなみに僕が夏に着る素材は、決まって「リネン」・「シアサッカー」「インディア・マドラス」の3つです。
中でも特に皆さんに紹介したい素材が、〝インディア・マドラス〟なのです。
【1】僕の一生モノ〝インディア・マドラス〟の洋服達
【バミューダショーツ・ネクタイ・シャツ(全てBrooks Brothersのもの)】
【様々なチェック柄の〝パッチワーク・マドラス〟】
これらが僕の夏の相棒達です。
僕は頻繁に沖縄に行くので、バミューダショーツ(ショート・パンツ)やシャツは、その際に大活躍してくれます。
もちろん猛暑日の街中でも同じです。
〝インディア・マドラス〟は丁寧に紡がれた極細の単子を荒く織っているため、通気性が抜群なのです。
高温多湿のインドで、夏の猛暑を乗り切るための知恵と技術が濃縮されています。
それから、ネクタイ。
これは、夏の暑い時期にコットンスーツやブレザースタイルで出かける時などに重宝します。
僕はどんなに暑い時期にでも、スーツを着るときはタイをしますので、主にカーキ色のコットンスーツや、シアサッカースーツの時に、このネクタイが活躍してくれます。
【2】インド綿織物産業の苦悩…
〝マドラス〟を服飾辞典で引くと、こうあります。
「インドの旧マドラス(現在のチェンナイ)で、水夫の頭に巻かれた布であった為、この名がつけられた。インディア・マドラスと呼ばれるものは、元来は手織りで格子柄である。シャツやドレス、エプロンなどに使われる。」
(『新・実用服飾用語辞典』)
しかし、インディア・マドラスの歴史はこんなに単純なものではなく、苦難の連続だったようです。
ちょうど、インドの歴史がそうであるように…
インディア・マドラスの歴史は古く、約400年前に英国で誕生した「イギリス東インド会社」まで遡ります。
「イギリス東インド会社」は当初、ヨーロッパ中で湧き起こっていた〝紅茶ブーム〟に乗じ、中国のお茶で一攫千金を目論んだとされています。
しかしこの時、中国茶の利権はすでにオランダによって押さえられていて、手出しが出来ませんでした。
その代わりとして「イギリス東インド貿易会社」が目をつけたのが、当時 職人が早朝から手紡ぎで極細の糸を紡ぎ、その糸で丁寧にこしらえられていたインドの高級綿織物でした。
こうしてインドの高級綿織物は、ヨーロッパ中の上流階級の間で、瞬く間にステータスシンボルとなっていったのです。
しかし…18世紀に入り英国での産業革命が進むと、生産手法が「工場制手工業」〜「工場制機械工業」の段階へと移ります。
歴史上に見る、大量生産時代への移行段階です。
この時「東インド貿易会社」は、インドから安く原材料の綿を輸入して、自国の近代技術で綿織物を大量生産し、逆にインドに売りつけるようになっていました…
そうすると、必然的に以前までの「家内制手工業」のような生産手法は邪魔になります。
インドの高級綿織物を作る職人たちは、この影響をまともに受けました…
職人が手作業で何時間もかけて紡ぎ、手旗で丁寧に織られた生地は、機械では到底真似することができず、大量生産品はどうしても品質が劣ってしまうのです。
この時すでに、植民地としてインドを権力支配していたイギリス東インド会社は、暴挙にでます…
なんと、インドのダッカ高原に多く住む職人たちの両腕を削ぎ落とし、2度と糸を紡げないようにしたのです。
この結果、約15万人いた職人は2万人にまで激減しました。
こうして、インドの手工芸的な綿織物産業は衰退していきました…
後年、インド独立運動の時「インド独立の父」マハトマ・ガンジーが、手作業で糸を紡ぐ時に使う『糸車』を〝抵抗運動の象徴〟として使ったのには、こう言った因縁があるのです。
【3】インディア・マドラスの復権
このように欧米列強からの搾取に苦しんだ、インドの綿織物産業はその後、主に貧しい労働者の衣料品として、細々と生き残っていました。
上記の『新・実用服飾用語辞典』に載っている説明は、この頃にマドラス地方の水夫が使っていた綿織物の事を言っているのではないかと、僕は推測します。
同じ頃その生地が持つ「素朴な風合い」が注目され、再度欧米に紹介されることになります。
そしてこの生地は、皮肉なことに〝インディア・マドラス・コットン〟と命名され、エキゾチックな夏用の生地として欧米で人気が再燃するのです…
特に〝インディア・マドラス・コットン〟を好んだのがアメリカ人でした。
1920年にBrooks Brothers が、アメリカで初めて紳士服のポロカラー(ボタンダウン)シャツや、ショーツ、ジャケットなどに〝インディア・マドラス・コットン〟を採用すると、1930年代には大衆まで一気に広がっていきます。
そして1950年代・60年代のアイビーリーガー達がインディア・マドラスのアイテムをこぞって愛用した事で、その人気は不動のものとなって行きました。
【『TAKE IVY』より抜粋】
【4】〝インディア・マドラス〟と〝インディアン・マドラス〟
あまり知られていませんが、今市場には2種類の「マドラス・コットン」が出回っています。
①〝インディア・マドラス〟
「原料」「糸」「織り」「染め」全てがインドの伝統的な製法でつくられた、〝正真正銘〟のインディア・マドラス・コットンです。
天然草木染め独特の、かすれたような色合いや、素朴な風合いが一目でわかります。
使い込むと独特の色落ちやクタッとした風合いなどの〝美しい経年変化〟が楽しめます。
大量生産出来ない為、一般的に高価です。
商品の内側に、〝インディア・マドラス〟を表すタグが付いていることもあります。
②〝インディアン・マドラス〟
インド以外の地方で作られたマドラス・コットンのことです。
量産体制下で化学染料で染められている場合が多く、生地も革新織機で緊密に織られます。
そのため、〝快適な通気性〟や〝美しい経年変化〟はあまり期待出来ません。
しかし、比較的安価で手に入ります。
【5】目的に応じて買い分けることのススメ
「大量生産・大量消費」「利益至上主義」が当然になってしまった今、生産性の低い〝伝統技術や伝統的な製法〟で作られる製品は、圧倒的弱者であると言わざるを得ません。
洋服に限らず、〝伝統技術や製法〟と〝革新技術や製法〟が現代で共存するためには、消費者が〝目的に応じてしっかり買い分ける〟ことが何より重要です。
今回のインディア・マドラスの場合、
〝暑い夏を先人の知恵を借りて、より快適に過ごす〟や
〝芸術的な経年変化を楽しむ〟〝伝統技術に敬意を表す〟
などの目的にウエイトを置ける人は①を。
単に
〝色の美しさ〟や
〝履き込んで洗ってもダメージが少ない〟
〝安価で手に入る〟
〝今、流行っているから〟
などの理由にウエイトを置く人は②を。
話は「どちらが良い・悪い」ということではありません。
それぞれの目的に応じてしっかりと見極めて買う事が出来れば、生産者・消費者の両方が幸せになれますよね。
きっと洋服も喜びます。
冷静に考えば、至極簡単な話です。
皆さんも参考にして、ぜひこの夏にでも〝インディア・マドラス・コットン〟を気軽に取り入れてみて下さいね。
コメント
拙著「マドラス物語ー海道のインド文化誌ー
」のサントメ縞に触れて頂けなかったのは、残念至極!
こんばんは。
貴重なご指摘、ありがとうございます!!
恥ずかしながら勉強が行き届いておらず、本当に申し訳ありません。
早速、先生の著書を取り寄せました。
熟読させて頂き、記事に盛り込ませていただきます。
そして参考文献としてブログ内で紹介させていただきます。