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LEVI’S 646物語 〜平和とジーンズ〜

LEVI’S 646物語

〜平和とジーンズ 〜

 

こんにちは。

前回の「LEVI’S 517物語」の冒頭でも言いましたが、ジーンズの記事…

一度書き出すと止まりません(笑)

続けてやります。〝一生モノのジーンズ〟第6弾。

今回は、「平和とジーンズ」です。

 

ここでの主役は、1960年代半ば〜1970年代にかけて、いわゆる「カウンター・カルチャー」を巻き起こした、ヒッピー達です。

その象徴的なジーンズが、「LEVI’S 646」です。

 

しかし…それを紹介する前に、

「戦後のアメリカで一体何が起こっていたのか?」

「〝ヒッピー〟とは一体何だったのか?」

と言うことについて触れておかなければなりません。

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【1】第2次世界大戦後のアメリカ社会

1950年代のアメリカは第2次世界大戦が終わり、経済成長の真っ只中であり、まさに〝黄金時代〟と呼ぶに相応しい時代でした。

 

まず、第二次世界大戦の帰還兵に政府が経済援助をしたことで、中産階級が一気に増えました。

また、製造業の分野で徹底した作業の「細分化」と「単純化」が進められた結果、安価な商品が大量に出回り、「大量生産・大量消費」社会に移行していきます。

 

こうした影響の中、サービス部門に従事する労働者が増え、非肉体労働者(ホワイトカラー)が一気に増加したのもこの時期です。

さらには、豊かな経済力の恩恵を受ける形で、大学進学率が上昇し、「学歴社会」「格差社会」が形成されていきます。

 

この時代は一見すると、この上なく〝豊かで幸せな時代〟のように思えますが、見方を変えると…

「人間が機会に管理される世界」であり、「人間が人間らしく生きていない世界」でもありました…

【2】ビート・ジェネレーションの出現

そんなアメリカ社会に疑問を感じ、「自分らしく・人間らしく」生きて行くことを強く求める集団が、作家や詩人を中心に出現しました。

その象徴的な人物が…

ジャック・ケルアック

ウイリアム・バロウズ

アレン・ギンズバーグ

の3名です。

彼等は、「ビート・ジェネレーション」や「ビートニック」と呼ばれました。

「ビート・ジェネレーション」の思想の中心は、「既存の価値観・社会体制を否定し、自由で人間的な価値観を追求する」というものでした。

彼等はその思想を、自身の作品の中で物語や詩として語るなどの文化活動を各地で行います。

 

その代表的な活動が、ビートニック詩人たちが教会やカフェなどで自作の詩を朗読する「ポエトリー・リーディング」でした。

これらの活動は、当時の社会体制に疑問を持っていた一部の中産階級の若者たちの心を鷲掴みにしました。

そして、学歴社会や保守的な社会からドロップアウトし、家出した若者たちの圧倒的支持を勝ち取ります。

 

社会に対する問題提起や、人種問題、自身の信念を言葉にして朗読するというシンプルなスタイルは、徐々に音楽にのせたり、演劇の要素を取り入れたりしながら、進化して行きます。

 

これが後のボブ・ディランにも影響を与えたし、

ジム・モリソンなどにも大きな影響を与え、「ロック」として後のメインストリームになっていきます。

さらに、元々黒人たちの人種差別への抗議から始まったとされるこの活動が源流となり、その後のラップへと繋がっていきます。

 

【3】「ビート・ジェネレーション」と「ヒッピー」

では、ヒッピーとは一体何だったのでしょうか。

 

ヒッピーの語源は、「ヒップスター(hipster)」。

この言葉は、アレン・ギンズバーグが自身の詩『吠える』の冒頭文の中で、「天使の頭をしたヒップスターたち」として出てきます。

この詩の中で「本当のフィーリングを持った者」という意味合いを持つこの言葉は、ビート・ジェネレーションを指す時の肯定的な表現として使われるようになっていきました。

 

そしてこの「ヒップスター(hipster)」の後継者だと考えられて、1960年代半ばに出てきたのが〝ヒッピー〟です。

ヒッピーの正体は、ビート・ジェネレーション作家の作品群に大きな影響を受けて育った、当時の若者達です。

 

つまり…ヒッピーは、突如登場した新人類でもなんでもなく、

1950年代のビート・ジェネレーションの精神を受け継いだ、60年代の新しいビート・ジェネレーションのことを指すのです。

 

【4】ヒッピーの、ヒッピーによる、ヒッピーの為の祭典

ヒッピーを語る上で欠かせないのが、「ウッドストック・フェスティバル」です。

1969年8月15日〜17日にかけて行われた、最大にして最高のヒッピーによる祭典でした。

当時これ以上ないほど豪華なミュージシャンが集まった、この祭典に、50万人もの若者が集まったと言われています。

会場では3日間、当たり前のようにマリファナやコカインの煙が蔓延し、フリー・セックスが繰り広げられていたといいます。

 

 

最終日の17日、大トリを飾ったのは、ジミ・ヘンドリクス。

正確には日が変わり、18日の明け方でした。

疲れ果てて死んだように眠る者や、ドラッグで意識が朦朧としている者も少なくない中でジミ・ヘンドリクスは、ギターを持ち替え、静かに弾き語りを始めたといいます。

 

それは、アメリカ国歌でした。

ステージ後方から、ちょうど朝日が昇り始め、とても崇高で、神々しい一瞬だったそうです。

こうして3日間に渡る「ウッドストック・フェスティバル」は幕を閉じました。

 

【5】LEVI’S 646  リーバイス・ベル・ボトム・ジーンズ

この祭典で聴衆が穿いていたジーンズこそ、ベル・ボトム・ジーンズでした。いわゆる「ラッパ・ズボン」のことです。

 

その代表的なモノが、「LEVI’S 646」です。

…ということで、最後に僕の〝一生モノのジーンズ〟の中から、LEVI’S 646 ベル・ボトム・ジーンズをご紹介します。

現在、70年代当時のオリジナルを3本所有しています。

 

【僕のLEVI’S 646  ベル・ボトム・ジーンズ】

ヒッピー達は、スタッズを打ったり、刺繍をしたり、ペインティングをしたりと、思い思いの装飾を加えました。

彼等にとってジーンズは、自分の分身であったし、どうにかして、それを自分だけの唯一無二のものにしたかったのです。

そして、当時のヒッピーたちがジーンズを愛した決定的な理由が、「反体制の象徴」だったことです。

 

彼等の思想は、「自由」「平等」「博愛」でした。

 

そして、

ジーンズがその歴史の中で勝ち取ってきた〝アイデンティティ〟もまた、「ノー・カンパニー」「ノー・エコノミクス」「ノー・エスタブリッシュ」だったのです。
【参考文献】

 

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