LEVI’S 606物語 〜パンクロックとジーンズ〜
こんにちは。今日は〝一生モノのジーンズ〟です。
これまで、「ブルー・ジーンズ誕生前夜」「LEVI’S 501物語」「LEVI’S 701物語」「LEVI’S 517物語」「LEVI’S 646物語」とシリーズでやってきて、第6弾となります。
今回は、「パンクロックとジーンズ」です。
前回の「LEVI’S 646物語」で紹介した、1960年代後半にヒッピーたちが巻き起こした「カウンター・カルチャー」は、1970年代に入り、急速に勢いを失っていきます。
自分たちの人生を賭けた「反戦運動」が、戦争の終結にさほど影響力を持たなかったことや、ヒッピー達を煽動していたミュージシャン達の死が大きく影響していました。
そして、1975年のベトナム戦争終結とともに、事実上の終焉を迎えます。
【1】ヒッピー達の遺産
しかし、彼等は大きな遺産を残しました。それは、新たな「スタイル」としての地位を得た「ジーンズ」です。
彼等の活動を通じて、〝カウンターカルチャーの象徴〟としてのジーンズが、世界中に知れ渡りました。
この時すでにジーンズは、肉体労働者や低所得者が着るモノではなくなり、新たなスタイルの中に組み込まれていました。
事実、70年代以降ジーンズは、世界中の様々なスタイルの中に登場してきます。
【2】ヒッピーからパンクロックへ
ヒッピー終焉後、ジーンズは、70年代半ばからアメリカ東海岸で盛り上がりを見せる、「パンクロック」へ継承されていきます。
パンクロックは、商業化されたロックや社会体制など、あらゆるものに対抗する形で生まれた「新しいカウンターカルチャー」でした。
1975年頃、ニューヨークのパンクロック・バンド「TELEVISION(テレヴィジョン)」がTシャツに引き裂いたジーンズというスタイルで現れ、衝撃を与えます。
このスタイルはその後、「RAMONES(ラモーンズ)」へと継承さてれていき、次第に盛り上がりを見せます。
【3】ロンドン・パンクの勃興
同じ頃、アメリカ東海岸で火がついた「パンクロック」は、海の向こうのイギリスの若者にも大きな影響を与えました。
イギリス・ロンドンのキングスロードで、音楽とファッションをテーマに「セックス」という店を構えていた、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドです。

マルコム・マクラーレン

ヴィヴィアン・ウエストウッド
1975年、彼等はニューヨークのパンクロックをロンドンでも流行らせようと思い、自分達の店「セックス」に出入りする若者を集めて、パンクロック・バンドを結成します。
「セックス・ピストルズ」の誕生です。
時代は権威への「反抗」を求めていました。
彼等の挑発的な音楽と、ヴィヴィアン・ウエストウッドがデザインを手掛けた、彼等の過激な衣装は、一部の熱狂的なファンの支持から始まり、瞬く間に一大ムーブメントとなっていきます。
ここでも、〝引き裂かれたジーンズ〟がスタイルの主役でした。
しかし…その後のロンドン・パンクは、商業的な時代の波にも飲み込まれていき、次第に停滞していきます。
そして1978年の「セックス・ピストルズ」解散とともに、終息に向かいました。
【4】LEVI’S 606 〜リーバイス・スリム・ジーンズ〜
この70年代半ばに巻き起こった、パンクロック・ムーブメントで穿かれていた、ジーンズの特徴は、2点。
- 極端なスリムフィット・ジーンズ
- 膝部分を意図的に引き裂いたジーンズ
その中でも、当時のパンクロック・バンドの中心的存在だった「RAMONES」。
「彼等が当時穿いていたジーンズが、〝LEVI’S 606〟であった」と長く信じられていました。
実際僕も、ヴィンテージジーンズを漁っていた学生時代は、そう信じていました。
ちなみに最近になり、「彼等が穿いていたのは、〝LEVI’S 505〟の膝から下を細くカスタムしたものだった」ということが判明しています。
とはいえ、「LEVI’S 606」もきっと穿かれていたに違いない!と、僕は今だに信じているわけです(笑)
ということで、今回は僕の〝一生モノのジーンズ〟の中から「LEVI‘S 606」を紹介します。
【LEVI’S 606 〜スリム・ジーンズ〜】
これは、1970年代の「LEVI’S 606」です。
オリジナルの〝BIG E〟は、今ではほとんど見つからないと思いますので、かなり貴重です。
この品番は、それまでのリーバイスの歴史の中で、最もスリムです。
股上がとても深く、膝から下が極端に細い。まさに当時のパンクロックの気分にマッチしたことでしょう。
【5】パンクロックの精神とジーンズ
では、なぜ当時のパンクロック・バンドは…「極端なスリム・フィット・ジーンズ」を穿き、「膝部分を意図的に引き裂いた」のでしょうか?
これは僕の想像ですが…
パンクロックはどちらかと言うと、ヒッピーの〝事なかれ主義〟的な部分に反発していたので、「アンチ・ヒッピー」の意識が強く現れたのではないでしょうか。
事実、彼等が穿いた「膝から下を極端に絞り込んだ」スリム・フィット・ジーンズは、前時代のヒッピー達が穿いた、「膝から下を極端に広げた」ベル・ボトム・ジーンズとは対照的なシルエットでした。
そして、彼等が自分たちの〝思想の象徴〟であるジーンズを、自ら引き裂いて穿いたのは…
「何度時代に叩かれても、立ち上がって反抗してやる」
という彼等の〝思想〟と、
「生地が破れても、いくらダメージがあっても、問題なく使用できる」
というジーンズが持つ〝アイデンティティ〟が見事にマッチしたからではないでしょうか。
皆さんは、どう思いますか?
何はともあれ、こうした時代の流れの中で、ジーンズは、「反抗」「主張」「個性」といったモノの象徴となっていったのです。
コメント
実はウッドストックの写真にうつるヒッピーたちの中にも少数派ではあるが、606を穿いていたものもいる。というのも66年に発売されているから。
パンクが細いジーンズに向かった、というより脈々と細いズボンの一派があるという感じ。キースリチャーズやグラムロックの一部のひとたちなど。そういえばドアーズもフレアジーンズを穿かなかった。
そしてなんといってもイギーポップ。60年代から一貫してスリムジーンズだった。そしてひざは破れてた。
彼らは音楽的にもパンクへとつながっている。
つまり、パンクとはファッションにおいても音楽においても、それまでの正反対、ではなく、メインでは無いけれどずっと受け継がれていったものがむしろメインに躍り出たという現象であるといえる。
デビュー時のビートルズは髪も短く、黒いスーツ。ズボンはめちゃくちゃ細い。そしてファーストアルバムの一曲目で「1234!」とカウントを取っている。その声の主、ポール・マッカートニーはポール・ラモーンという偽名を使った。
まさに時代は繰り返す、ですね。