洋服屋の罪
先人達の知恵を享受している現代人
以前も似たようなことを書きましたが、大事なことなので繰り返します。
僕たちは「たまたま」平和な時代に生まれ、物質的にも豊かな生活をしています。
特に必死になって考えなくても、大体のものは当たり前に揃ってしまっているのが現代です。
特に服飾の世界に目を向けると、
ここ数十年間、新しい製品は何ひとつ開発されていないのではないか?とさえ思えてきます。(繊維やテキスタイルは別ですが)
雑誌などでは、さも毎年新しいものが開発されているかのように書かれていますが、
「何年かごとに、同じものを表現を変えて載せているだけ」
という事に多くの人は気付くことができません。
(試しに何年か分をスクラップしてみるといいです。)
僕達が着ている洋服の大半は、100年以上前からあるものばかりです。(原料や生地は、新たに開発されたモノに置き換わっていますが)
つまり…
先人達が各時代で、生きるために知恵を絞って生み出してくれた服を、僕達は「着させて頂いている」のです。
であるにも関わらず…
それらの多くが「流行」と言う〝魔法の言葉〟によって商業的に利用され、「新しく世の中に誕生した服」にされていく…
そしてその〝魔法の言葉〟に、考えられないほど多くの人々が狂ったように踊らされていく…
毎年毎年、この繰り返しです…
もう一度言います。
僕達は、先人達が知恵を絞って生み出してくれた服を「着させて頂いている」のです。
洋服屋の罪
昔々から洋服に施され、現在まで受け継がれている細かい〝ディテール〟には、必ずと言って良いほど意味があります。
例えば、
ジーパンの右前についている小さなポケットは、「ウォッチ・ポケット」と言って、懐中時計を入れるためのモノだったし、
ハンティング・コートの背中部分につけられた大きなポケットは、狩った獲物を入れておくためのモノでした。
もっと言うと、
トレンチコートの肩の部分が二重になっているのは、「ガン・フラップ」と言い、ライフルを打つ時に銃床を支える部分に当てられ、緩衝材の役割を果たしていました。
同じくトレンチコートのベルトに付いている、アルファベットの「D」の形をした輪っかは、「Dカン」や「Dリング」と呼ばれ、かつては軍人が手榴弾を引っ掛けていました。
このように、各ディテールには、先人達の知恵が凝縮されています。
こういった細かいディテールに興味を持ち、その歴史を知ろうとすれば、そこにはとても奥深い世界が広がっているのです。
服飾の世界は、皆さんが考えている以上に奥深いものなのです。
しかし、一方で服飾というのは…
「商業的な視点」で語り出した途端に、恐ろしくつまらないモノに変わります…
今挙げたような、本来重要な意味を持つ服の細かいディテールは、今都会で生活する多くの人々には、「何の意味もないもの」「むしろ、邪魔なもの」として認識されてしまいます。
しかし、そう思うのも無理はありません…
なぜなら、
売る側の洋服屋が、「お客様に服の奥深さや魅力を伝える」という本来の目的を完全に放棄しているからです。
それ以前に、売る側の人間が、そういった知識を全く持っていないことすら珍しくありません…
実際に洋服の商品開発に携わっている幹部でも、服飾史を勉強していないケースがほとんどです。
だから、商品開発の現場では、商業的視点での議論のみがなされ、本来意味のある細かいディテールは、「誰も使わない不要なもの」→「コスト削減」となり、商品として世に出た時には、跡形もなく消えて無くなっているのです…
先人達が生きるために生み出し、気が遠くなるほどの長い時間をかけて受け継いできた〝知恵の結晶〟は、空調の効いた快適な部屋で行われる、たった数時間の会議が終わると「存在しなかったモノ」になっているのです…
僕もまがいなりに、洋服の商品開発に関わって来た人間だし、今も洋服を売っている同業者なので、敢えて言いますが…
これは、売り手側の怠慢であり、最大の罪です。
そろそろ辞めにしませんか?
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