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ハワイアン・シャツの来た道 【中編】

 

ハワイアン・シャツの来た道

〜ハワイアン・シャツ物語〜

【中編】

 

19世紀にハワイに移住した日系移民の多くは、サトウキビ農場やパイナップル農場で過酷な労働に従事しており、普段は作業着を着ていました。

 

上は「パラカ」と呼ばれる、ブルーのチェック柄のシャツやジャケット、下はデニム地のパンツという組み合わせが多かったようです。

 

「パラカ」はその雰囲気が、日本の「絣」に似ていた為、日系移民に特に愛されていました。

 

そしてこの「パラカ」の誕生によって、

現在に繋がる「ハワイアン・シャツ」の歴史が大きく動き始めます…

 

ここまでが、【前編】の内容でした。

 

【中編】【後編】では、

・作業着だった「パラカ」が、どのようにしてハワイアン・シャツに変化したのか。

 

・「和風」や「ハワイ風」「ポリネシア風」といった多彩な柄が、どのようにして生まれて来たのか。

 

・ハワイアン・シャツが、どのような人達によって広められていったのか。

 

といった部分を、一緒に辿って行きたいと思っています。

 

 

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【1】「ハワイアン・シャツ」誕生秘話

ハワイで最初の「量産型衣料工場」は、1922年に設立された「ハワイ・クロージング・マニュファクチャリング・カンパニー」です。

これにより、既製品の「パラカ・シャツ」も作られるようになって行きます。

 

しかし、依然としてその多くは手作りのもので、個人商店に注文してつくってもらったり、生地を買ってきて自作したりしていました。

 

こうした時代背景の中で、

 

日系移民の多くは、日本から持ってきた着物を仕立て直し、和柄の「パラカ・シャツ」を作っていて、

これが最初の「ハワイアン・シャツ」であった。

という説が、現在よく語られています。

 

しかしこれは、全くなかったとは言えませんが、ごく一部に限られる話で、可能性は低いとされています。

 

日系人が着物の文化をハワイに持ち込んでいたことは、

端午の節句に着物を着て映る赤子の写真や、

浴衣の生地のワンピースを着て映る、女の子の写真が残っていることから、事実として証明されています。

 

しかし、

日系移民にとって「着物」というのは、相当特別な存在で、「家宝」としてとても貴重なものであったと同時に、そのまま自分たちの〝アイデンティティ〟でもありました。

 

ですから、ほころびを何度も縫い直し、ボロボロになるまで大切に着た後、最後は寝巻きとして着ていたという話も残っています。

 

そこまで大切にしていたものを、簡単にバラしてシャツにするということは、ちょっと考えにくいですよね。

 

それよりも可能性が高いのは、

それほど高価ではない

「綿の浴衣用布地」や、「レーヨンの壁縮緬(かべちりめん)」、さらには「ロウ・シルクの反物」などで、日常着の「パラカ・シャツ」を仕立てていたというモノで、

 

特に、浴衣用の生地から仕立てられたシャツが、和柄の「ハワイアン・シャツ」に変化していったと言う説が、

歴史的な背景も踏まえて、現在最も信憑性が高いとされています。

 

 

※壁縮緬とは、壁糸(細い糸に太い糸が螺旋状に巻き付いたように見える撚糸)を使用して、表面に特殊なシボ(凸凹)を表現ながら織り上げられる縮緬のことです。

【Webより、画像を転載】

 

※ロウ・シルクとは、蚕の繭から繰り取ったまま精製していない絹糸(シルク)のことです。

この記事の中では、精製されていない不揃いの絹糸で、粗く平織りされた布地を指します。

絹地としては厚みがあり、玉や節がそのまま残っているため、野趣あふれる手織り布です。

【Webより、画像を転載】

 

現在僕達がよく知る、美しい柄の「ハワイアン・シャツ」を誰がいつ、どういう形で生み出したかは、正確にはわかっていませんが、

 

1920年代には、上述したような「ハワイアン・シャツ」の原型と言っても良い、今ほど派手ではない「和柄のシャツ」やポリネシア風の「タパ柄のシャツ」が生まれており、

 

それが少しずつ人々に認知され、仕立てて着られるようになっていった。

 

というのが事実であろうかと思います。

 

そしてその後、1930年代に入ると、

 

「ムサシヤ・ショーテン」のような店が、綿や・ロウ・シルク製の既製品ハワイアン・シャツを販売し始め、

 

さらには、

「カメハメハ・ガーメント」のような、小さいながらも工場設備を備えたメーカーが現れ(1936年頃)、

 

量産体制が可能になったあたりから1940年代〜1950年代にかけて、一気に広まっていくことになるのです。

【2】ハワイアン・シャツと日本人

いずれにしても、ハワイアン・シャツの誕生に日本人や日系移民が大きく関わっていることは、事実としてまず間違いありません。

 

日本人が移民としてハワイに渡り、日本の服飾文化を持ち込まなければ、「ハワイアン・シャツ」は今とは全く違う歴史を辿っていた事でしょう。

 

 

「ハワイアン・シャツ」というと、ハワイが観光地として発展したことで1950年代に大流行し、大量に作られた為、どうしてもハワイ独自のものだと思われがちですが、

 

しかしその裏では、日本人や日系移民が持ち込んだ日本の文化が、大きく影響していた。

 

 

こういった重要な史実を、僕たちは知っておく必要があるのではないでしょうか。

 

〜【後編 1】に続く〜

 

 

【参考文献】

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