ハワイアン・シャツの来た道
〜ハワイアン・シャツ物語〜
【後編 1】
【1】「ハワイアン・シャツ」と「アロハ・シャツ」
これまで、この記事『ハワイアン・シャツの来た道』の中では、一貫して「ハワイアン・シャツ」という呼称を使って来ましたが、
「ハワイアン・シャツ」は一般的に、「アロハ・シャツ」という愛称の方で呼ばれることが多いですよね。
では、この「アロハ・シャツ」という愛称は、いつ・誰が生み出したのでしょうか。
実はそこには、3人の人物の存在があります。
宮本長太郎・コウイチロウ(親子)とエラリー・チャンです。
〝この3人の存在なくして、その後の「ハワイアン・シャツ」の発展はなかった〟
と言っても過言ではないほどの、重要人物たちです。
順番に紹介しますので、後編が2部に分かれてしまいます…
長くなりますが、懲りずに最後までお付き合いください…
【2】宮本親子と「ムサシヤ・ショーテン」
1890年、日本から一人の若者がハワイ・ホノルルに移住して来ました。
宮本 長太郎という名のシャツの仕立て職人です。
宮本はホノルルに住み始めて何年か経った頃に、小さな雑貨屋を開きます。
それが、「ムサシヤ・ショーテン」です。
店名の由来は、宮本が武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県北東部あたり)の出身だったからと言われています。
彼には、「コウイチロウ」と「キヨジ」という二人の息子がいて、1915年に長太郎が亡くなると、店は長男のコウイチロウに引き継がれます。
【宮本コウイチロウ氏(Webより画像を転載)】
当時の経営は相当厳しく、借金は日々かさんでいくばかりだったようです。
そこにさらに追い討ちをかけるように、1920年にシャツ用のブロード生地を英国に誤発注してしまい、膨大な在庫を抱えてしまいます…
「これは到底売りさばけない…」と判断したミヤモトは、縫い子を雇い大量のシャツを仕立てます。
そして、新聞に広告を打つことを決意したのです。
協力したのは、当時新聞社と広告代理店の両方に籍を置いて仕事をしていた、ジョージ・メレンという人物でした。
メレンはミヤモトが書く、意味はわかるが文法が間違った英文に不思議な魅力を感じ、そのまま広告に使うよう勧めたのです。
こうして、「ムサシヤ・ショーテン」の最初の宣伝広告が、1920年5月4日の『ホノルル・スターブルテン紙』に掲載されます。
それはミヤモトが書いた宣伝文と、下駄を履いた笑顔の日本人のイラストという組み合わせでした。
【有名なムサシヤの広告の一つ】
その後も広告は、毎週一回のペースで掲載され続けました。
これが想像以上の効果を発揮して、「ムサシヤ・ショーテン」は一躍有名になり、店の経営は一気に軌道に乗ります。
注文はアメリカ国内は勿論のこと、南アフリカやアルゼンチンなど世界中から舞い込み、
さらには、当時のハリウッドの大物たちがこぞって、ミヤモトの仕立てた絹製のシャツを注文したのです。
そして、1935年6月28日の『ホノルル・アドバタイザー紙』に掲載された「ムサシヤ・ショーテン」の広告には、こんな文章が踊っていました。
〝輝くような色のアロハ・シャツ、
既製・仕立てで95セントより〟
これが、世界で初めて「アロハ・シャツ」という言葉が広告などで使われた事例だと言われています。
ちなみに、この1935年頃というのは、ハワイを訪れる観光客や海軍兵士が増え始めた時代で、お土産品としての「ハワイアン・シャツ」の人気が過熱し始めていました。
とは言え、この頃作られていた「ハワイアン・シャツ(アロハ・シャツ)」は、
あくまで浴衣生地を含む「和柄」や、ロウ・シルクの単色の「タパ柄」、綿の「バティック柄」のもので、
派手な「トロピカル柄」や、「レーヨン製」のものが登場するのはもう少し後、1940年代に入ってからのことです。
こうして「ムサシヤ・ショーテン」という小さな個人商店が、
現在僕たちが当たり前のように使っている、「アロハ・シャツ」という愛称を、世に広めて行ったのと同時に、
「ハワイアン・シャツ」そのものを、世界に向けて大きく広めることに成功したのです。
宮本親子が必死になって守った「ムサシヤ・ショーテン」は、「ハワイアン・シャツ」の歴史を大きく前進させました。
その貢献度は、計り知れません。
宮本コウイチロウ氏はその後、
ジョージとメリーのフジイ夫妻に「ムサシヤ・ショーテン」を譲り、
自身は新たにシャツの仕立て屋を始めます。
新しい店の名は、「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」
その後この「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」は、コウイチロウ氏が引退する1968年まで続きます。
【晩年の宮本コウイチロウ氏(Webから画像を転載)】
そして「ムサシヤ」と同時期に、
「アロハ・シャツ」という愛称を使用して「ハワイアン・シャツ」売り出し、1936年にはその呼称を商標登録までした、非常に頭の切れる人物がいました。
それが、「エラリー・チャン」その人です。
〜【後編 2 】に続く〜
【参考文献】
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