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なぜ、ケネディ大統領はボタンダウンシャツを着なかったか。

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なぜ、ケネディ大統領はボタンダウンシャツを着なかったか。

ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(J.F.K.)と言えば、

皆さんご存知の通り、第35代アメリカ合衆国大統領です。

1960年大統領に就任し、1963年にテキサス州ダラスでの遊説中に暗殺されるまでの約3年の間、

アポロ計画の発表や人種差別撤廃への積極的な姿勢で、

〝新しいアメリカ像〟を全世界に示し、

(彼は、New Frontier Spilitsと表現しました。)

一方、東西冷戦下において、

キューバやベトナム、ベルリンで一触即発の事態が続く中、

「世界の平和と自由を守る」という姿勢を、決して崩しませんでした。

そんなケネディ大統領の力強いメッセージに、多くの人々が魅了され、

現在でも世界中で絶大な人気を誇る人物です。

日本でも、大統領就任演説でのこのフレーズが特に有名ですよね。

〝国が諸君の為に何をしてくれるのかを問うのではなく、

諸君が国の為に何が出来るかを問うてほしい〟

不思議と、今の日本人に向けて言っているようにも聞こえます。

そんなケネディ大統領ですが、

実は20世紀以降の大統領の中で唯一、「ボタンダウンシャツ」を公式の場で着用しなかった大統領として、

服飾の世界でも密かに語られる人物なのです。

では、どうしてケネディ大統領はボタンダウンシャツを着なかったのでしょうか。

それはケネディ大統領が、

〝私は古いアメリカを壊し、新しいアメリカを作っていく〟

という熱い想いを、

自身の服装の中にも余す事なく詰め込み、

全世界に向けてアピールしていたからなのです。

つまり、単なる大統領の好みの問題ではなく、

そこには明確な〝政治的思惑〟があったということです。

という事で今回は、

ケネディ大統領の服装に込められた、〝熱いメッセージ〟を読み取っていきたいと思っています。

【1】アメリカの成立とW.A.S.P.

ご存知の方が多いとは思いますが、

「アメリカ合衆国」という国は、主にヨーロッパ大陸から渡ってきた移民によって作られた国家です。

ここではアメリカ建国史を全て説明できないので、簡潔なものに留めますが、

16世紀頃に発生したプロテスタント(カルヴァン派)の流れを汲む、

キリスト教改革派のピューリタン(清教徒)達が、

異端としてイングランド国教会から迫害を受け、国を追われ、新大陸に渡ったことからアメリカ史は始まっていきます。

最初の集団は、1620年イギリスから「メイフラワー号」に乗って、東海岸のマサチューセッツ・プリマスに辿り着きました。

【メイフラワー号上陸300周年の記念切手】

100名程の集団だったと言われており、その中に41人のピューリタン達がいたそうです。

正確な内訳は、

ピューリタン(Saints)41名

◾男17名   女10名  子供14名

その他ピューリタン以外(Strenger)40名

◾男17名  女9名  子供14名

奉公人  21名

この41名のピューリタン達(正確には17名の男たち)は、

「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれ、

その後ニューイングランドに、ピューリタニズムに則った「神の国」の建設を始めるのです。

そして彼らが、永きに渡りアメリカの歴史の中で、

常に中心に君臨し続ける血統、

W.A.S.P(White  Anglo–Saxon Protestant)の源流です。

これをきっかけに、その後次々と移民が流入し、

(途中の歴史を大幅にカットして申し訳ないですが

1776年、アメリカは独立戦争に勝利し、独立国家として産声をあげます。

初代大統領は、ショージ・ワシントンです。

彼ももちろん、イギリス系移民であるW.A.S.P.の血統です

ここを出発点とし、現在まで約240年の歳月をかけて、

アメリカ合衆国は形作られていくことになるのです。

【2】アメリカ人の象徴 「Brooks Brothers 」

そして服飾の方面で、

アメリカ黎明期の指導者達のスタイルを「ゼロから作り上げた」のが、

アメリカ建国から半世紀も経たない、1818年に創業した洋服店、

「Brooks Brothers 」でした。

「アメリカ黎明期の指導者達の〝スタイル〟をほぼ全て作り上げた。」

と言う歴史的意義の大きさにおいて、

Brooks Brothersを身につけていると言うことはそのまま、

〝アメリカ人の象徴〟

となり得たのです。

そんな Brooks Brothers が、20世紀初頭に世の中に発表したのが、

ボタンダウンシャツ(正式名称は、ポロカラー・シャツ)と、

No.1サック・スーツ(ウエストが全く絞られていない、3ボタン段返りのモデルのこと)です。

◾1900年  ポロカラー・シャツ(ボタンダウンシャツ)

◾1901年  No.1サック・スーツ(3ボタン段返り)

これが20世紀初頭の東海岸で爆発的な人気を博し、

1950年代頃まで「アメリカ人の象徴」として、白人エリート層がこぞって身につけました。

この頃はまさに、

「全身Brooks Brothers の男」= 「典型的なアメリカのエリート層」

という方程式が自動的に成り立っていたのです。

【3】新時代のリーダーとしての装い

そして1960年、

第35代大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディが誕生します。

彼は、アメリカ建国史上初の非W.A.S.P.の大統領です。

(ケネディ一族は、イギリス系ではなく、アイルランド系移民です)

これは、人種差別が無くならないことへの怒りから、

公民権運動が全米で盛り上がっていた当時において、

かなりセンセーショナルな出来事でした。

彼は、「New Fronter Spilits(新しい開拓精神)」をスローガンに掲げ、

自分がアメリカ新時代のリーダーになろうとしていました。

そして、国民の前に姿を見せる時、ケネディ大統領はいつも

「レギュラーカラー」のシャツと、

ウエストを絞った、濃紺の「2つボタンのスーツ」

に身を包んでいたのです。

【写真は、拡大できます】

彼はそれまでの、

W.A.S.Pを中心とする白人エリートたちで牛耳られてきた

〝古いアメリカ〟を、

非W.A.S.P.である自分が変えようと決意しました。

そして、それを自分の身なりにまで反映させたのです。

「ボタンダウンシャツ」 +  「No.1サック・スーツ」

という〝古いアメリカのリーダーの象徴〟を捨て去り、

「レギュラーカラー ・シャツ」+  「2つボタンのスーツ」

という

〝新時代のリーダーとしての装い〟を、世界に向けて見せつけたのです。

※誤解のないように言っておくと、

ケネディ大統領がBrooks Brothers の服を否定したというわけではありません。

この新しい2つボタンのスーツも、Brooks Brothers が制作を担当して、

1961年に「No.2スーツ」として発表されています。

【Brooks Brothers No.2スーツ】

ケネディ大統領の名は、当時のBrooks Brothers のカスタマーズ・リストにもしっかり残っています。

つまり、語らずして彼の〝服装〟が、

「アメリカは今この時点から、生まれ変わります」

「そして、そのアメリカ新時代のリーダーは私です」

という強烈なメッセージを、全世界に向けて発していた。

というわけなのです。

ケネディ大統領はそこまで計算して、

「ボタンダウンシャツ」と「No.1サック・スーツ」を封印したのです

【4】ケネディ大統領の死後

1963年、テキサス州・ダラスを遊説中に、ケネディ大統領は暗殺されてしまいますが、

ケネディ大統領が積極的に議会に提案した「公民権法」は、

1964年に成立し、人種差別撤廃に向け大きな一歩となったし、

「アポロ計画」は、ニクソン政権へと引き継がれ、

1969年、ついに人類は月に着陸しました。

服装の面でも、

ケネディ大統領以後、

アメリカでは急速に2つボタンのスーツが普及し、

現在でも2つボタンのスーツが主流となっているのは、

皆さんご存知の通りです
【参考文献】