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最果ての島のツイード文化 〜ハリスツイード物語【前編】〜

 

最果ての島のツイード文化

〜ハリスツイード物語〜

【前編】

 

こんにちは。

このブログは、

〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、

キーワードは、〝一生モノ〟です。

 

「〝一生モノ〟というフィルターを通してモノを見る」

 

ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、

本当に良いモノだけを抽出していこう。というのが大きなテーマです。

 

僕がこのブログを運営してしている中で、

「冬になったら絶対に書きたい」と思っていたテーマがありました。

 

「Harris Tweed」です。

 

この生地の名前自体は、世界中で知られているし、日本でも大人気です。

皆さんも洋服や雑貨などで、何度も目にしているかと思います。

 

では、この「Harris Tweed」が一体どこで、どのようにして作られていて、どんなアイデンティティを持つのか?について知っていますか?

 

これだけ知名度がある生地なのに、

そのバックボーンは不思議と知られていない。

実際のところ、これが現状だったりします。

 

ということで、今回は

「Harris Tweed」が持つ、独特の歴史や文化に迫ってみたいと思います。

 

【前編】【中編】【後編】に分かれますが、興味がある方はぜひ、最後までお付き合いください。

 

今回の【前編】では、

  1. Harris Tweedの故郷 「アウター・へブリディーズ諸島」
  2. 「ケルト人」と「ケルト文化」
  3. ケルト文化に彩られたHarrisTweed 

 

という構成で進めていきます。

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【1】Harris Tweedの故郷  「アウター・へブリディーズ諸島」

「アウター・ヘブリディーズ諸島」

 

スコットランドの北西部に位置し、大小無数の島々が点在する最果ての地域です。

そして、そのアウター・ヘブリディーズ諸島の中でも最北端に位置する、

ハリス島とルイス島が Harris Tweedの故郷(ふるさと)です。

 

【アウター・ヘブリディーズ諸島】

【アウター・ヘブリディーズ諸島の中のルイス島・ハリス島】

 

Harris Tweedの故郷であるこの島は、島の中央にある境界線を境に、北側がルイス島、南側がハリス島と呼ばれています。

(上の地図をご覧頂くとわかりやすいかと思います)

 

大地は泥状の炭で形成されている為土壌が貧しく、大きな樹木は育つことができません。

北側のルイス島には山がなく、大地は緩やかな起伏を描いて水平線へとつながていくのに対し

ハリス島は山岳地帯で、起伏が激しく、岩肌がむき出しになった険しい山々が連なっている。

という具合に、2つの島はそれぞれ対照的な地形を特徴としています。

 

この最果ての島の歴史は、5000年以上という気が遠くなる程長いもので、

ルイス島に立つ「カラニッシュの巨石遺跡群」は、あの有名なイングランドの「ストーン・ヘンジ巨石遺跡群」よりも古いと言われています。

 

【ルイス島のカラニッシュ巨石遺跡群】

そしてこの島は、

スコットランドの「ケルト文化」が今なお色濃く残る、数少ない土地でもあるのです。

【2】ケルト人とケルト文化

ここで、「ケルト人」と「ケルト文化」について少し触れておかなければなりません。

 

「ケルト人」とは、古代のヨーロッパ大陸に住んでいたケルト語を話す民族のことを指します。

現在、ケルト語を話した「ケルト人」は、ひとつの民族集団としてではなく、古代のヨーロッパ大陸に広く分布していた「先住民族」のひとつである。

という捉え方をされています。

「ケルト人」は、同じ言葉や文化を持っていながら、一箇所に定住することはなかったようでです。

 

一説には、

現在の中央アジアあたりの草原から、馬などに乗って渡来してきた人々だと言われており、

文字文化を持たなかった為、その存在は未だに解明されていない部分も多く、謎に包まれています。

 

キリスト教が入ってくるまでのケルト宗教は、

  • 「自然崇拝」の多神教であり、
  • 「輪廻転生」「霊魂不滅」を信じるものでした。

その後、キリスト教化してもなお、

 

「ケルト・キリスト教」

 

として、自然崇拝を含んだ独自の世界観を持ち発展します。

 

しかし、

アングロ・サクソン系ゲルマン民族やバイキングなどの侵略により、ヨーロッパ大陸を追われたケルト人は、急速に減少していきます。

そして次第に忘れ去られ、ついには歴史の裏側へと追いやられてしまいました。

 

この時、大陸で生き残ったケルト人は「大陸のケルト」と呼ばれ、

その後、ローマ帝国の支配下でゲルマン系フランク人に吸収され、

現在のフランス人のルーツになったと言わています。

 

一方、この時海を渡り「ブリテン諸島」に移住したケルト人は「島のケルト」と呼ばれ、

現在のアイルランドやスコットランドに残る、独特の文化に大きな影響を与えました。

そして、Harris Tweedの故郷である「ルイス島」や「ハリス島」も、この「島のケルト」の影響を大きく受けました。

 

実はHarris Tweedという生地の中には、

そんな「ケルトの世界観」が凝縮されているのです

【3】ケルト文化に彩られた Harris Tweed

では、Harris Tweedの中に生き残った

「ケルトの世界観」の一端を見ていきましょう。

 

まずは、ケルト信仰の象徴である「ケルト十字」です。

 

これは、キリスト教のシンボルである「ラテン十字」と太陽を表す円を組み合わせたものです。

 

【ケルト信仰の象徴、ケルト十字】

 

勘の良い皆さんは、すでにお気付きかと思いますが、

これを元にして考案されたのが、現在のHarris Tweedのマークです。

下のHarris Tweedのマークは、ケルト十字と、ハリス島に所縁の深い貴族、ダンモア伯爵家の家紋を組み合わせたものであると言われています。

 

【Harris Tweedのマーク】

 

そして、僕が1番強調してお伝えしたいのは、

Harris Tweedに採用される色彩や柄についてです。

 

Harris Tweedに採用される柄や色彩は、全て島の風景や自然に由来している。

 

これこそ、僕が皆さんに知って欲しい「最も重要な事実」なのです。

下の画像をじっくりとご覧ください。

 

【島の自然とHarris Tweed】 ※左が生地です。

 

【島の自然とHarris Tweed】※左が生地です。

 

【島の自然とHarris Tweed】※右が生地です。

 

【島の自然とHarris Tweed】※右が生地です。

 

このように、

山・空・大地・岩・苔・花など、島における全ての自然の豊かな色彩ひとつひとつが、Harris Tweedの中に息づいている。

という事が、お分かり頂けるかと思います。

 

「島の美しい自然を敬愛し、身に纏う(まとう)」

 

これはケルト信仰の中核を成す、

「自然崇拝の世界観」に他なりません。

 

古代ケルト文化に彩られたこの美しい生地は、

島の人々によって大切に継承され、保存されてきました。

 

そういった観点から見ていくと、

 

「Harris Tweedは、もはや文化遺産である。」

 

と言い切ってしまっても過言ではない。

僕は心の底からそう思っています。

 

〜【中編】に続く〜

 

【参考文献】

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