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〝自分流のスタイル〟〜ウディ・アレンから学ぶこと〜

 

〝自分流のスタイル〟

〜ウディ・アレンから学ぶこと〜

 

こんにちは。

このブログは、

〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、

キーワードは、〝一生モノ〟です。

 

「〝一生モノ〟というフィルターを通してモノを見る」

 

ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、

本当に良いモノだけを抽出していこう。

というのが大きなテーマです。

 

 

僕は秋から冬にかけて寒くなってくると、かなりの頻度でツイードジャケットを着て出かけるのですが、

その際、その下に合わせるパンツは…と考えた時に、真っ先に浮かぶのが「コーデュロイパンツ」です。

それも少し太畝で、野暮ったい雰囲気のものを自然と手に取ってしまいます。

 

イメージはいつも映画『アニー・ホール』のウディ・アレン。

劇中の彼の、なんとも言えない味のあるスタイルがたまらなく好きなんです。

主演女優のダイアン・キートンが劇中で見せるカジュアルスタイルも、とてもスタイリッシュで素敵です。

 

【映画『アニー・ホール』のウディ・アレンとダイアン・キートン】

 

 

着込んで身体に馴染んだツイードジャケットにボタンダウンシャツ。

そしてその下に、こちらも履き込んで少しクタクタになったくらいのコーデュロイパンツやチノパンツ。

こういった組み合わせがウディ・アレン流のスタイルです。

 

この組み合わせ自体は、知的なニューヨーカー達が昔から愛用している「アメリカン・カジュアルスタイル」なのですが、ウディはそれを完全に自分流にアレンジしています。

 

僕なりに表現すると、

「サイズ感も何もかもが完璧に計算済みで、全く隙のない都会の洗練されたお洒落」

ではなく、

「隙だらけで、田舎臭く野暮ったい印象なんだけど、自然体で力が抜けた大人の男性のお洒落」

といった感じでしょうか。

 

ウディ・アレンから学べることは、

「自分流のスタイルを構築することの奥深さと難しさ」である。

と僕は思っています。

 

 

現在のように、雑誌などに載っている流行や、予め着古したような加工がされた服、ダメージ加工が施された服を身につける事はとても簡単で、実は誰にでもできる事です。

 

「誰にでもできる簡単な事」には多くの人が飛びつきますから、

それが〝自分流〟になるということは、まずありえないですよね。

 

こうして、気がつけば街中に同じ格好をした人達が溢れかえります。

すると、

人と同じは嫌だから、すぐにまた雑誌などを参考に新たなスタイルを構築する。

 

しかし、また街には同じ人が…

 

このような負のサイクルに陥り、〝自分流〟の着こなしが出来ない人は、例外なく〝ダサい人〟です。

そういった人は、一生洒落者にはなれません。

 

服飾史上に古くから存在し、各時代で多くの人に着古されてきた「伝統的なスタイル」や「ベーシックな服」を、

「普段通りにさらっと着ているだけなのに、第三者から見てなぜか格好良い」

 

※「第三者から見て格好良い」というのがポイントです。自分で鏡を見てうっとりしているのでは話になりません。

 

こういう人が本物の洒落者であって、同時にこれが1番難しいのです。

 

なぜかと言うと、

「自分流のスタイルで服を着こなす(お洒落をする)」という行為は、

「自らの生活美を第三者に表現すること」に他ならないからです。

 

つまり、

「モノを長く大切に使う」とか「家を清潔に保つ」・「規則正しく生活する」などといったその人の〝プライベート・スタイル〟と、服装というその人の〝パブリック・スタイル〟は、密接に関係していると言うことなのです。

 

そして、

伝統のスタイルやベーシックな服というのは、

持ち主が長年「品良く大切に」着込んで、身体に馴染んだ時に最も輝きを放つものです。

 

ここでは、「持ち主が長年〝品良く大切に〟着込む」ことがなによりも大切なプロセスです。

そして、それには最低でも3年〜5年はかかるのが当たり前です。

 

裏を返せば、

自分が着込んでいない「新品の服」というのは、格好悪くてとても人に見せるべきものではない。

というのが、本来的な考え方だという事にもなります。

 

ツイードジャケットやコーデュロイパンツは、その代表のような服です。

 

極端な話ですが、

例えば、吉田茂元総理の側近だった白洲次郎は、新調したツイードのジャケットを何日か軒下に吊るしたり、ガレージに放置したりして新品時の格好悪さを取り除いてから着ていた。とか、

往年のハリウッド・スターであるフレッド・アステアも、新調した洋服を何度も壁に投げつけて、真新しさや硬さを取り除いてからしか着なかった。

などという先人の美意識に関する逸話は、世界中にたくさん残っています。

 

それならば、

「5年くらい着古したような加工を服に予め施して、その雰囲気を演出したものを売り出してしまえ。」

というのが昨今繰り広げされている、作り手の猿芝居ですが…

 

しかし、

 

これが最も愚かな考えであることは言うまでもありません。

 

こういう服に飛びついた人にはもれなく、

ボロボロの服を着ている「ダサい人」という評価が下されます。

 

もちろん本人の気づかないところで…

 

なぜか。

答えは簡単です。

 

持ち主がその服を、長年〝品良く大切に〟着込む時間が、丸々省略されているからです。

肝心の中身、つまり〝それを身につける人の雰囲気や品格〟が、

かつて気品ある英国貴族たちによって着られていた、ツイードやコーデュロイに元々備わっている〝それ〟に追いついてこないのです。

 

「服が、その人の持つ品格や雰囲気に合わせる」のではなく、

 

「人が、その服の持つ品格や雰囲気に合わせていく」

 

普段の生活スタイルも含めて、この意識を持てる人達だけが、〝自分流のスタイル〟を構築できるのではないか。

 

僕はそんな風に思っています。

 

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