歴史上最も模倣されたシャツ
〜Brooks Brothersのボタンダウンシャツ〜
こんにちは。
このブログは、〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、キーワードは、〝一生モノ〟です。
「〝一生モノ〟というフィルターを通してモノを見る」
ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、本当に良いモノだけを抽出していこう。というのが大きなテーマです。
「ボタンダウンシャツ」といえば、知らない人はいないと言って良いほど、世界中で有名ですよね。
男性なら一度は着たことがあるだろうし、女性であってもそのイメージは簡単に湧くと思います。
この「ボタンダウンシャツ」の正式名称は、「ポロカラー・シャツ」。
その名の通り英国の「ポロ競技」に着想を得て、1900年にアメリカで誕生しました。
そして、
その生みの親はというと、1818年に創業し、今年で200周年を迎えるアメリカ最古の洋服屋、
「Brooks Brothers」です。
Brooks Brothersの「ポロカラー・シャツ」は、これまで世界中で数えきれない程の企業に模倣され続けてきました。
その数量は、気が遠くなるほど膨大なものでしょう。
しかし、
誕生して約120年経つ現在においても、Brooks Brothersのオリジナル・ポロカラー・シャツを超えるものは存在せず、世界一の評価を不動のものとし、堂々と君臨し続けています。
と言うことで、
今回は「歴史上最も模倣されたシャツ」と題して、Brooks Brothersの「ポロカラー・シャツ」について詳しく紹介します。
どうぞ最後までお付き合いください。
【1】アメリカ最古の洋服店 Brooks Brothers
アメリカ・ニューヨークはマンハッタンの中心地、マディソン・アヴェニューの44丁目に本拠地を構え、1818年に創業したBrooks Brothers。
このBrooks Brothersほど、数々の伝説に包まれた洋服店は世界中探しても、そう多くないと思います。
例えば、
初代ジョージ・ワシントン大統領から現在のドナルド・トランプ大統領までのうち、実に40人の大統領がBrooks Brothersの顧客名簿に名を連ねています。
また、その中でもアメリカ合衆国第16代大統領、アブラハム・リンカーンが暗殺された時に着ていたフロックコートは、Brooks Brothersのものだったことは有名ですし、
現在は世界的デザイナーとなった、あのラルフ・ローレン氏も、1967年に独立するまではBrooks Brothersの社員で、ネクタイ売り場に勤めていました。
彼はあるインタビューで記者に、
「地位も名声もお金も、何もかも手に入れた今、何が1番欲しいですか?」と聞かれ、こう答えたと言います。
「今の僕が唯一持ち合わせていないのは〝歴史〟だよ。」
1818年に創業し、今年で200周年を迎えるBrooks Brothersの輝かしい歴史は、誰にも真似できない〝唯一無二〟のものなのです。
【2】アメリカの服飾史を変えた洒落者 〜ヘンリー・サンズ・ブルックス〜
では、その輝かしい歴史の一端を覗いてみましょう。
ヘンリー・サンズ・ブルックス。
この人こそが、Brooks Brothersの創業者です。
彼は、1771年にコネティカット州の裕福な医者の息子として生まれ、何不自由なくスクスクと育っていきました。
しかし、
当時のアメリカはもちろん独立前で、1775年から本格的に始まったアメリカ独立戦争の真っ只中で、一般の移民者たちの生活は貧しく悲惨なものだったと言います。
荒れ果てた広野に中に放り出された移民者にとって、手に職がないことがどれほど苦しく惨めなものか…
このような悲惨な状況を目にしていたヘンリー青年は、医者を継がず、
「このような時代には、食料品を扱う商売が1番儲かる」
と考え、迷うことなく食料品店を開きました。
そう、
驚くべきことに、現在のBrooks Brothers最初期のスタートは、「食料品店」だったのです。
彼は食料品の仕入れのために、たびたびロンドンに渡っていました。
ヘンリーはもともと服装の趣味が良い人物で、自身も服を買うのが好きだった為、出張のたびに服やアクセサリーを買って帰ってきては、当時最先端の英国紳士スタイルを楽しんでいました。
ヘンリーの英国紳士スタイルに憧れる友人たちは、彼がロンドンから帰ってくるのを心待ちにし、家に押し寄せては持ち帰った衣料品を分けてもらっていたそうです。
ヘンリーが40歳半ばになったこの頃、アメリカは長い英国からの植民地から逃れ、独立はしていたものの、極端に物資が乏しく、特に衣料品は自給自足で賄わなくてはなりませんでした。
もちろん洋服屋など存在しておらず、多くの人が英国からもたらされたボロボロの古着などを入手し、身につけていました。
そこで、ヘンリーは大きな決断をします。
「英国に頼らず、アメリカ大陸で衣料品を作って人々の需要を賄おう」
これまで出張のたびにロンドンを訪れ学んだ、様々な服飾の知識や生地屋・仕立て職人などとのコネクションを生かし、
1818年 4月7日
ニューヨークのキャサリン・ストリートとチェリー・ストリートが交わる北西角に、アメリカで最初の洋服店をオープンさせました。
当時の店名は、「ヘンリー・サンズ・ブルックス商会」。
これこそが、
その後2世紀に渡ってアメリカ服飾史の大半を創り上げた、偉大なる洋服店「Brooks Brothers」の前身が誕生した歴史的瞬間でした。
ちなみに、店名が現在の「Brooks Brothers」に改められたのは、それからしばらく経った1850年のことです。
創業者のヘンリー・サンズ・ブルックスは1833年にこの世を去り、店の経営は4人の子孫に引き継がれました。
エドワード・エリシャ・ダニエル・ジョンの4人です。
【Sons of Henry・S・Brooks】
そして、
後年、この中のジョン・E・ブルックス(写真右)が意外なところから着想を得て、「ポロカラー・シャツ」を開発するのです。
それは、1900年のことでした。
【3】ポロカラー・シャツの誕生とジョン・E・ブルックス
すでに述べたように、「ボタンダウンシャツ」がBrooks Brothersの手によって誕生したのは、今から118年前の1900年のこと。
正式名称は「ポロカラー・シャツ」です。
19世紀末、創業者の孫にあたるジョン・E・ブルックスは、イギリス旅行中に何気なくポロ競技を観戦していました。
そこでジョンは、ポロのプレイヤーが着ているシャツの襟先が釦で留められていることに気付きます。
あとで確認すると、馬上で激しく動き回る競技ゆえに、襟が風にはためくと邪魔になるという理由から考案されたと言うのです。
「これは、実用的だ。」ジョンは、閃きます。
すぐさま帰国すると、自分の店のシャツの襟に釦を取り付け、試作品を作りました。
当時の経営陣は、気でも狂ったのではないかと罵ったそうです。
それも致し方ありません。なぜなら、英国で買い付けた高級生地で仕立てられた豪華なシャツに、いとも簡単に穴を開けてしまったわけですから…
しかし、
ジョンは自分の直感を信じて実行し、1900年 ついに「The Original Polo Shirt」として発売にこぎつけると、身内の評価に反し大ヒットします。
特に、アイヴィー・リーグのエリート学生達によって圧倒的に支持され、瞬く間に全米中に広がりました。
程なくして、彼らは「ボタンダウナー」などと呼ばれるようになります。
そして、
この時のアイヴィー・リーガーたちの中には、卒業後に実業家や政府の要職を歴任する者、果ては大統領にまで登りつめた人物までおり、
彼らは学生時代に着ていたBrooks Brothersのポロカラー・シャツを、大人になっても着続けました。
こうして、
1920年代頃までには Brooks Brothersのポロカラー・シャツは、
「アメリカのエリート紳士達が身に付ける服」
としてすっかり定着していました。
『華麗なるギャッツビー』などで有名なF・S・フィッツジェラルドや、アーネスト・ヘミングウェイの小説には、
「ブルックスブラザーズの服を身につけているような人物」や「ポロカラーのシャツを着た男」といった表現が度々使われますが、
それは、そのまま「アメリカエリート紳士」の隠喩として当たり前に伝わる表現なのです。
そしてこれは、現在のアメリカでも何ら変わっていません。
アメリカ服飾史に燦然と輝くポロカラー・シャツをはじめとする Brooks Brothersの服は、
創業から200年を迎えた今も時代を超越し、
〝アメリカエリート紳士の象徴〟として堂々と君臨し続けています。
〝時が経つにつれて、色褪せてしまうものがある。また時が経つにつれて、輝きを増すものがある。
すべての審判は時が下し、真実だけが浮き彫りにされる〟
時はある意味残酷ですが、時だけが真実を語る。
僕は常々、そう思っています。
【4】僕が愛用する Brooks Brothersのポロカラー・シャツ
最後に、僕が愛用している Brooks Brothersのポロカラー・シャツを紹介して終わります。
【 Brooks Brothersのポロカラー・シャツ】
コメント