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エスタブリッシュメントのブレザー【1】 〜ブレザーの歴史〜

 

 

エスタブリッシュメントのブレザー

【1】

〜ブレザーの歴史〜

 

 

こんにちは。

このブログは、〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、キーワードは、〝一生モノ〟です。

 

「〝一生モノ〟というフィルターを通してモノを見る」

ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、本当に良いモノだけを抽出していこう。というのが大きなテーマです。

 

 

ここ数年、ビジネスシーンにおいても「カジュアル化」が浸透し、スーツスタイル以外のビジネスマンも多く見かけるようになりました。

 

そこで、

「カジュアルなビジネスシーンに最も適したスタイルは、ブレザー・スタイルなんですよ。」と言うと、日本人男性の多くは「学生みたいで、なんか抵抗があるなぁ」と感じる傾向があるようです。

 

僕も接客していて、かなり多くのお客さんの口からこの言葉を聞きます。

 

では、なぜ抵抗を感じるのでしょうか?

どうもそういう人達が発する言葉の裏側には、「ブレザー=学生」「学生=子供っぽい」「子供っぽい=信用されない」といった日本人特有の〝マイナスの連想〟が無意識に働いているように僕には思えてなりません。

 

しかし、

ブレザー・スタイルが浸透している欧米では、少し事情が違うようです。

 

欧米では、ブレザーは「エスタブリッシュメント(上流階級)が着る上着」であり、かなり特別な意味を持ちます。

「ブレザー=名門学生」「名門学生=エスタブリッシュメント」「エスタブリッシュメント=成功者・憧れの存在・優雅・高貴」という〝プラスの連想〟が働きます。

 

ですから、彼らは実に誇らしげにブレザーを着用します。

日本人とは真逆ですね。

 

では、なぜこれ程までに違いが出るのか。

 

それを解く鍵は、ブレザーの起源とその後のブレザーの発展に隠されているような気がします。

 

ということで、

今回は「エスタブリッシュメントのブレザー」と題して、ブレザーの歴史をご紹介しましょう。

 

 

どうぞ最後までお付き合いください。

 

 

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【1】ブレザーの起源 〜ブレイザー号とヘンリー・ロイヤル・レガッタ〜

現在のブレザーは大きく分けて、

ダブル・ブレスト と シングル・ブレストに分けられます。

 

しかし、実はこの2つは起源が大きく異なります。

以下に、詳しく説明していきましょう。

 

①ダブルのブレザー

ダブルのブレザーの起源は、1860年代の英国軍艦「ブレイザー号」だっだという説が非常に濃厚です。

 

英国軍艦「ブレイザー号(Her Majesty’s Ship Blazer)」へのビクトリア女王訪問が決まった際、乗組員たちのあまりにみすぼらしい姿を見かねた当時の艦長が、濃紺のウール・サージ地に金のメタル・ボタンをあしらったユニフォームを作って着用させ、女王を出迎えたという話が残っています。

※この時のユニフォームの原型となったのが、甲板で作業する乗組員が着用していた「リーファー・ジャケット」で、これは現在の「ピー・コート」の原型でもあります。

詳しくは、過去の記事『船乗りたちのジャケット〜ピー・ジャケット〜』に書きました。

 

その後、このユニフォームが海軍の制服として、全世界に定着していきます。

これが「ダブルのブレザー」の直接の起源です。

 

②シングル・ブレザー

一方、

シングルのブレザーの起源はというと、英国で毎年夏に行われる王室主催のレガッタ・ボート・レース、通称『ヘンリー・ロイヤル・レガッタ』です。

 

それは、1880年代にテムズ川において行われた オックスフォード大学 V.S ケンブリッジ大学のレースでのことです。

この時、ケンブリッジ大学のセントジョーンズ・カレッジの選手(応援団だったという説もある)一団が、燃えるようなスカーレット(紅色)の上着で参加したと言われています。

 

これが水面に反射して映り込み、まるで炎(Blaze)が燃え広がって行くように見えたということから、「炎」や「燃える」という意味の「Blaze」が「Blazer」に派生していったという話が残っています。

 

これが、「シングルのブレザー」の直接の起源です。

シングルのブレザーの由来は、英国屈指の名門ケンブリッジ大学の学生たちが着た「真紅の上着」だったというわけです。

 

【ヘンリー・ロイヤル・レガッタ】

 

その後、ヘンリー・ロイヤル・レガッタには各校様々な色の上着を揃えて参加するようになります。

 

※画像はWebから転載

 

以上が、ブレザーの〝2つの起源〟です。

 

 

【2】大人の野外社交場 「ヘンリー・ロイヤル・レガッタ」

 

「ヘンリー・ロイヤル・レガッタ」

 

1829年に行われたオックスフォード大学とケンブリッジ大学の対抗ボート・レースに端を発するこのレースは、当初、単に「ヘンリー・レガッタ」と呼ばれていました。

その呼称に「ロイヤル」が付くようになったのは、ビクトリア朝時代の1851年で、アルバート殿下が王室で主催することを決めたことがきかっけです。

 

ヘンリー・ロイヤル・レガッタの競技場は、今日では大人の野外社交場でもあります。

王族や上流階級と一般大衆が一緒になって楽しむ、美しい夏の風物詩です。

 

【ヘンリー・ロイヤル・レガッタの風景】

 

※画像はWebから転載

 

この優雅な社交場では、男性はみな、濃紺はもちろん赤や白・緑など色鮮やかなブレザーを着用していて、その光景はさながらブレザーのファッション・ショーのようだと言われるほどです。

 

スラックスは白やグレーが基本で、ネクタイはスクール・タイかクラブ・タイ。

それにボーター・ハット(カンカン帽)やパナマ・ハットを被るというイギリスの伝統的なスタイルの紳士たちが集います。

 

※画像はWebから転載

 

ちなみに、

英国紳士たちはどんなに年老いても自分の出身校のブレザーを着て、このボート・レースという社交場に出かけて行くそうですよ。

 

このように、

ブレザーの生まれ故郷の英国では、「ブレザー・スタイル」というのは、教養を身につけた大人の基本的な服装なのです。

 

日本にブレザーが紹介されたのは、アメリカの「アイビー・ルック」が日本に上陸した1960年頃です。

「アイビー・ルック」とは、ハーバードやイエールといったアメリカ東部の名門大学8校、通称「アイビーリーグ」の学生たちが好んだスタイルです。

 

日本でブレザー・スタイルが「学生が着る子供っぽい服装」という非常に軽いイメージで捉えられているのは、

 

①アメリカの「アイビー・ルック」の表面だけを取り入れて、流行として消化してしまったこと。

 

②本来のブレザーの起源や英国人にとっての「 ブレザー・スタイル」の重みを知らないで、「ただの学生服」として普及してきたこと。

という、2つの文化的背景が大きく関わっていると思います

 

【3】驚異的な許容性をもつ「ブレザー・スタイル」

「スーツだと堅苦しが、あまりにくだけ過ぎてもどうか…」

という時、濃紺のブレザーにグレーのスラックス、黒のストレートチップの靴にレジメンタルタイを締めればまず間違いありません。

グレーのスラックスの代わりにベージュの「ドレス・チノ」を合わせ、タッセル・ローファーを合わせても決まります。

 

【ビジネスシーンで】

※画像はWebから転載

 

ちょっとしたパーティーに呼ばれた際には、濃紺のブレザーにボウ・タイ(蝶ネクタイ)を締めたり、中に赤いベストを着るなどして行けば、相当スタイリッシュに決まります。

 

【パーティー・シーンで】

 

さらに、

オンタイムのイメージだけにとらわれず、カーディガンやジャンパーのように、ブレザーをさらっと羽織ってバーに出掛ける。

なんていうのも粋で格好良いですよね。

 

【オフタイムのシーンで】

というように、

ブレザーとは、これだけ許容性がある万能服なのです。

きっと世の男性の着こなしの幅を広げてくれるはずです。

 

男性が着るものが、毎年ころころ変わる流行服である必要はありません。

それがビジネスシーンであればなおさらです。

自分にとっての「スタンダード・スタイル」を確立することが最優先事項です。

上質なブレザーは、その心強い相棒になってくれることでしょう。

 

 

次回は、「エスタブリッシュメントのブレザー【2】」と題して、Brooks Brothersのブレザーをご紹介します。

 

どうぞ、お楽しみに。

 
【参考文献】

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