エスタブリッシュメントのブレザー
【2】
〜アメリカとブレザー・スタイル〜
こんにちは。
このブログは、〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、キーワードは、〝一生モノ〟です。
「〝一生モノ〟というフィルターを通してモノを見る」
ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、本当に良いモノだけを抽出していこう。というのが大きなテーマです。
前回記事『エスタブリッシュメントのブレザー【1】』では、ブレザーの起源や歴史に触れ、特にブレザー発祥の地英国でのブレザーに対する人々の考え方や、付き合い方について書きました。
今回の『エスタブリッシュメントのブレザー【2】』では、英国から大西洋を渡ったお隣アメリカのブレザー事情ついて『Brooks Brothers』を例に挙げながら、話を進めていきたいと思っています。
どうぞ最後までお付き合いください。
前半の【1章】・【2章】は、簡単にアメリカの歴史と発展について書いていますので、あまり興味のない方は読み飛ばして【3章】からお読みください。
【1】アメリカ合衆国という国
アメリカ合衆国は建国して今年で242年。
英国やフランスなどの歴史と比べると、比較にならないほど若い国です。
ですから、アメリカの服の輪郭をなぞることもそれほど難しいことではありません。
非常に乱暴にまとめてしまえば、ネイティブ・インディアンの民族衣装があり、カウボーイ・スタイル、騎兵隊の軍服、エスタブリッシュメント達のスーツやアイビー・ルックがあるといった具合です。
アメリカには、英仏のような王室がない為、王族や貴族といった人たちが存在しません。
その為、自国の王や皇太子のスタイルを流行として追随するようなことはなく、ヨーロッパで流行しているものの中から自分たちに合うものを独自の解釈で取り入れるという、かなり自由で〝新しいスタイルが生まれやすい土壌〟が初めからあったと想像できます。
19世紀のアメリカは、とにかく国を作ることで手一杯でした。
19世紀初頭はインディアンとの戦争に明け暮れ、中頃からは南北戦争、後半は西部開拓へと舵を切り、1890年にようやくフロンティアは消滅。現在のアメリカ合衆国の輪郭が出来上がります。
こうしてアメリカは、19世紀の100年間を使って一気に国家を作り上げ、同時に国内に膨大なエネルギーを溜め込んでいったのです。
そして、
それが一気に開花したのが、20世紀初頭でした。
【2】20世紀のアメリカ
アメリカが最も繁栄したのは、1920年代です。
1914年から始まった第1次世界大戦中は中立の立場をとり、連合国に武器や車両を輸出することで外貨を稼いで、国内経済を潤すことに専念していました。
それが功を奏し、1920年代に入るとついに、アメリカとヨーロッパの立場が逆転します。
大戦で疲弊したヨーロッパ各国に替わり、世界の工場として輸出を拡大して行き、国際的にも存在感を増していきます。
アメリカが国際的に現在のような立ち位置になったのもこの頃です。
ちなみに、
これと似たような立場にあったのが、意外にも日本です。
アメリカのように中立の立場は示していなかったものの、日本も第1次世界大戦には消極参加でした。(と言うか、国内でも意見が割れていて結局戦力としては積極的に参加出来なかった。と言う方が正しいでしょう。)
このことで、この時期日本も体力的には温存できていた形となります。
歴史でいうと、「大正デモクラシー」の頃ですね。
その後、
国際連盟に加盟し常任理事国になるなど、この頃世界においての日本の存在感も、少しずつ大きくなりはじめていました。
話が横道に逸れたのでもとに戻しますが、
とにかくアメリカは1920年代に入ると、史上最高の繁栄期を謳歌します。
この頃のアメリカの様子は、映画『華麗なるギャツビー』に良く描かれていますので、興味がある方にはぜひ見てほしい一本です。
【3】アメリカとブレザー・スタイル
さて、ここからが本題です。
20世紀初頭にアメリカが繁栄期を迎えたと同時に、アメリカの服飾史も動き出します。
その一翼を担ったのが、「Brooks Brothers」でした。
Brooks Brothersは20世紀に入るやいなや、
1900年にポロカラー・シャツ(ボタンダウンシャツ)
1901年にNo.1サック・スーツ
1903年にアメリカンストライプのレップ・タイ
といった具合に、現在のアメリカントラディショナル・スタイルに直結する歴史的名作を次々と発表します。
そしてその中に、No. 1サックモデルのブレザーも入っていました。
この時期、「Brooks Brothersの服に身を包む」ことがアメリカ人としての何よりの証明だったことが、当時の小説や文学作品からもありありと読み取れます。
『華麗なるギャツビー』(1925年)の作者であるF・スコット・フィッツジェラルドも、Brooks Brothersの顧客名簿に名を連ねていた著名人のひとりです。
【F・スコット・フィッツジェラルド】
アメリカでブレザーが爆発的に普及したのは、1920年代だと言われます。
英国のヘンリー・ロイヤル・レガッタ・ボートレース観戦の際、上流階級の紳士たちが着こなす優雅な「ブレザー・スタイル」に、当時極端に階級意識が高かったアメリカ東海岸の富裕層が敏感に反応したのです。
【英国ヘンリー・ロイヤル・レガッタに集まる人々】
彼らは英国紳士の優雅な「ブレザー・スタイル」を、夜な夜な開催される華やかなパーティー・ルックや、避暑地で優雅に過ごす際のリゾート・ウェアとして早速取り入れ、その流行はわずか1年足らずの間に西海岸地方にまで伝播したと言われています。
先に紹介した『華麗なるギャツビー』の中でも、カラフルなブレザーを着てはしゃぐ、華やかなパーティーのシーンがあります。
【『華麗なるギャッツビー』より】
右下の男性のブレザー・スタイルが特にわかりやすいですね。
ヘンリー・ロイヤル・レガッタで英国紳士が着こなすブレザー・スタイルそのものです。
このように、英国上流階級の紳士たちによって優雅に着こなされてきたブレザーは、アメリカに渡っても一部のエスタブリッシュメントや富裕層によって優雅に、そして華やかに着用されたのです。
しかし、
このアメリカの黄金期は長くは続かず、10年ほどで幕を閉じ、1930年代の世界恐慌〜世界大戦という暗黒時代へと時代は進んでいきます。
ブレザー・スタイルはというと、1930年代以降は主に名門アイビーリーグの大学生達の間で支持され、人気が高まっていきます。
※アイビーリーグ… アメリカ東部の名門大学8校のこと。1939年頃からこう呼ばれるようになり、「アイビー・リーガー」という言葉は、1943年頃から使われ出したといいます。
→「ハーバード大学」「イエール大学」「ブラウン大学」「ダートマス大学」「コロンビア大学」「ペンシルベニア大学」「プリンストン大学」「コーネル大学」
この名門大学を卒業した学生は、その後のアメリカを背負って行くエリートの卵たちでした。(もちろん後のアメリカ大統領もこの中に多数含まれています。)
彼らはBrooks Brothersのブレザーや、JPRESSのブレザーを身に纏い学生生活を送り、大人になってもブレザー・スタイルを捨てませんでした。
その証拠に、アイビーリーグ出身者は卒業した後も、クラス会などに出身校のブレザーを着用することから、アメリカではブレザー・スタイルのことを「オールド・スクール・ファッション」などと呼んでいます。
このように、
アメリカでのブレザー・スタイルは、20年代のアメリカ繁栄期から大不況の時代、さらには第2次世界大戦へと時代が流れても、相変わらずエスタブリッシュメントのスタイルとして着用され続けました。
そして、
この頃(1930年代・40年代)のアイビー・リーガーたちのスクール・ファッションが後の「アイビー・ルック」となり、戦後の好景気に湧いた1950年代のアメリカで大ブームを巻き起こします。
それが1960年代に日本に上陸して大ブームとなり、日本のファッション黎明期を盛り上げたことは、周知の通りです。
【4】僕が愛用しているブレザー
最後に、僕が愛用しているブレザーをご紹介して終わります。
5年前にBrooks Brothersでオーダーしたブレザーです。
【Brooks BrothersのNo. 1サックモデルのブレザー】
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