アメリカントラディショナルとは何か?
【完全版】
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ブログ運営者のタニヤンです☆★
この記事は、昨年連載記事として5回に分けて書いた「アメリカントラディショナルとは何か?」を、完全版として1つに再編集したものです。
☟過去の連載☟
僕のブログは、1記事平均3,000字近くあるものが多く、再編集すると10,000字近くになるので、最後まで読むのはボリューム的にキツイかもしれません(汗)
少しずつ読みたい方は、今まで通り上記のリンクから個別にご覧ください☆★
【第1章】日本式ガラパゴス・アイビーの弊害
「アメリカントラディショナル」
これ自体は男性・女性に関わらず、皆さん結構耳にするワードだと思います。略して「アメトラ」なんて呼ばれたりもしますよね。
でも、「アメリカントラディショナルって何?」と聞かれると「そう言えば上手く言葉で説明できない…」という人、結構多いんじゃないですか?
服に詳しい人や服飾業界の人ならば、アメリカの伝統的なスタイル=IVYルックと限定的に紐づ付けて説明する人が多いでしょう。
ブレザーにチノパン、オックスフォードのボタンダウンシャツにペニーローファー、IVYリーグのロゴ入りスエットやレタード・カーディガンなどがその代表例ですね。
ブレザーやスーツの上着は「段返り3ボタン」で、背中は「センター・フックベント」、本来ならチノパンには「シンチバック(尾鋲)」がついて……など細かい仕様にまで熱心に言及する人もいます。
でもこれは、1960年頃に日本でVANが打ち出したIVYルックを鵜呑みにし、独自の発展を遂げた、日本式「ガラパゴス・アイビー」の話だったりします。(と言うか、実際そうなんです。笑)
いわゆる、「IVYルックは、アメリカエリート学生のスタイルや生き方の象徴で、そのワードローブは未来永劫不変だ」というものです。
はっきり言っておきますが、これは間違いです。
これをもって「アメリカントラディショナル」とするにはあまりに矛盾点が多過ぎますし、これを全ての人に押し付けるのは危険すぎます。
服飾業界の人や服に詳しい人、冷静になってよく考えてみてください。
実際アメリカでは、50年代半ば〜60年代前半のIVYルックの後、1967年あたりからカウンター・カルチャーが台頭し、IVYリーグのキャンパス内は、メッセージTシャツとブルージーンズ姿の学生で溢れかえったわけです。
いわゆるヒッピー・スタイルですね。
スーツにしても、50年代頃まではBrooks Brothersの「No. 1サックモデル」がアメリカエリート層の象徴でしたが、1960年代のケネディ大統領の登場で、事実上旧いアメリカの象徴となっていきます。
※詳しくは過去の記事に書きましたので、こちらをご覧ください。
※No. 1サックモデル…1900年に入りBrooks Brothersが発表したアメリカを代表するモデル。肩はナチュラル・ショルダーでウェストを絞らない寸胴型のシルエットが特徴。シングルブレストの段返り3ボタン、センターベント。
その証拠に、1961年にはBrooks Brothersがいち早く「No.2モデル」と呼ばれるウエスト部分を絞った2つボタンのスーツを新たな時代の象徴として発表しています。
ケネディ大統領の鍛えられた体に沿った、新しい時代を象徴する2つボタンスーツを仕立てていたのがBrooks Brothersだったことも、歴然とした事実です。(Brooks Brothersだけではないようですが)
これを皮切りに、現在に至るまでアメリカのスーツの主流はウェストを絞った2つボタンのモデルです。
そして、ケネディ大統領は公式の場でボタンダウンシャツを着用しなかった大統領としても知られています。
さらに、ケネディ大統領はハーバード大学卒のバリバリのアイビー・リーガーです。
つまりどういう事かと言うと、
アメリカン・スタイル=IVYルック=段返り3ボタン・ボタンダウンシャツ…という日本的な常識は、本国アメリカにおいて1960年の時点ですでに終わっていたという事です。
そしてちょうどこの頃、日本でVANがIVYルックを大々的に提唱し、〝アメリカでは終わりかけのIVYルック〟〝過去のアメリカの象徴になろうとしているIVYルック〟が〝今のアメリカの象徴〟として日本中を席捲していきました。
現代のようにインターネットもSNSもない時代、当時のメディアの情報は大いに偏っていたことでしょう。
致し方のないことです。
こうして、情報量に乏しい「島国日本」では、その後VANが倒産する1979年までの約20年を費やし、〝IVYルック〟=〝真のアメリカン・スタイル〟という構図が神格化されていきました。
まるでガラパゴス島の生き物のように進化をせず、完全にとり残されていったことになります。
その結果として、現在のような「アメリカントラディショナル=IVYルック」という、日本独自の常識が出来上がったと僕は考えています。
これが日本式「ガラパゴス・アイビー」の正体です。
これにより、多くの弊害が出ています。
最大の問題は、服飾関係者の多くがこの日本式「ガラパゴス・アイビー」の信奉者であることです。
現状これによって、お客様に間違った情報を提供していることになっています。
もう一つは、「VAN世代」の方々が「客層のメイン」として健在だったこと。
これは当然のことですが、「VAN世代」の方が持つアメリカントラディショナルの認識や常識は、ほぼ例外なく日本式「ガラパゴス・アイビー」です。
当時のブームをリアルタイムで経験しているだけに、若い販売員たちはそういった方々のお話を、長年何の疑いもなく信じてきました。
実際、20代のころの自分もそうでした。
こうして、日本に本当のことを正しく伝える人がいなくなってしまったという構図です。
しかし、はっきり言ってこれは売り手側、つまり洋服屋の怠慢です。
服飾の歴史を勉強していれば、そういう方々のお話はある意味正しいが、「ある時点で時が止まっている」という事に気づくはずですからね。
昔と違い、今は誰でも簡単に情報を入手できる時代です。
言い訳はできませんよ。
服飾業界で「アメリカントラディショナル」を正しく理解できている人は、残念ながらほんのひとつまみしか存在しないのでしょう…
ということで、序章が長くなってしまいましたが、
ここからは「アメリカントラディショナルとは何か」を論じていきます。
先に結論を述べておきます。
「アメリカントラディショナル」とは、以下の4つのカテゴリーの総称のことです。
1. 「トラディショナル・アメリカンスタイル」
2.「アイビー・ルック」
3.「ブリティッシュ・アメリカンスタイル」
4.「プレッピー・ルック」
次章からは、この4つのカテゴリーを順番に解説していきます☆
【第2章】アメリカントラディショナルとは何か?〜4つの時代的分類〜
まず「アメリカントラディショナル」は、アメリカの時代背景に沿って4つに分類できます。
この4つの分類が非常に重要です。
【1】トラディショナル・アメリカンスタイル(19世紀末〜20世紀初頭)
【2】アイビー・ルック(戦後1954年頃〜1960年代半ば)
【3】ブリティッシュ・アメリカンスタイル(1960年代後半〜1970年代)
【4】プレッピー・ルック(1980年代)
日本人に根付いている「アメトラ論」はこの中の【1】の時代の一部と【2】の時代を限定的に論じたものです。
つまり、かなり「点の話」をしているのですね。
時代区分が全く頭にないため、「ブルックスブラザーズ」と「J.PRESS」・「ポールスチュアート」と「ラルフローレン」を同時代のものとして平然と論じてしまえるのです。
ちなみに各社の創業は、以下の通りです。
ブルックスブラザーズ・・・1818年
J.PRESS・・・1902年
ポールスチュアート・・・1938年
ラルフローレン・・・1967年
ラルフローレンとブルックスブラザーズの間には、約150年の時代差があります。 実に1世紀半です。
日本に置き換えると、ブルックスブラザーズが創業した時日本は「江戸時代後期」で、ラルフローレン創業時の日本は「東京オリンピック直後」です。
これを一括りにして論じるのは、誰がどう考えても無理があると思いませんか?
「アメリカントラディショナル」とは、この4つのアメリカを代表するブランドが、それぞれの時代において、その時々にふさわしい服作り続けた結果生まれた「歴史的産物」というべきでしょう。
それでは、ここからいよいよ「アメリカントラディショナル」を時代背景に沿って順に追いかけていきます。
【第3章】アメリカンスタイルの原点〜トラディショナル・アメリカンスタイル〜
まずは、「トラディショナル・アメリカンスタイル」です。
時代区分で言うと、19世紀末〜20世紀初頭で、この時代のキーワードは、「アイビーリーグ」「カスタム・テーラー」です。
19世紀末〜20世紀初頭にかけては「既製品」という考えがほぼなかった時代ですから、洋服は基本的に誂え(あつらえ)ものでした。
その為この時代の立役者は、主にアメリカ北東部のアイビーリーグの名門私立大学の所在地にある、カスタム・テーラーでした。
その代表例が「J.PRESS」です。
「J.PRESS」は1902年、ニューヘイブンにあるアイビー校の名門イエール大学のすぐ近くで、創業者のジャコビー・プレスが、一人一人採寸して仕立てる「カスタム・メイド」の店として歴史をスタートさせています。
その顧客のほとんどがイエール大学の学生かOBで、出入りしていたのは錚々たる面々であったことが知られています。有名なのは、第41代大統領のジョージ・H・Wブッシュと、その息子で第43代大統領のジョージ・W・ブッシュがそうですし、日本人では昭和天皇の側近で、内閣総理大臣にもなった近衛文麿もイエール大在籍中に出入りしていたといわれています。
【ジョージ・H・W・ブッシュ大統領】
【ジョージ・W・ブッシュ大統領】
【近衛文麿】
その為、当時の店はさながら上流階級のサロンのようだったことが容易に想像できます。
では、明確な「アメリカンモデル」の服が確立していない19世紀末頃、名門大学近郊にあった「カスタム・テーラー・ショップ」では、どのような服が作られていたのでしょうか?
想像するに、この時手本にしたのは英国でしょうから、それは限りなく「ブリティッシュ・モデル」に近いものであったと思われます。
もともとアイビーリーグ自体、英国の名門校(ケンブリッジ大やオックスフォード大)をモデルにしてできた事を考えると、そのスタイルも大いに参考にして取り入れた可能性は高いと言えます。
こうして、当初参考にしたブリティッシュ・モデルが基礎となり、時代が進み20世紀に入ると、そこにアメリカ独自のエッセンスが加えられ、徐々に「アメリカンモデル」の源流が出来上がっていきます。
そして、最終的にたどり着いたのが、1901年にBrooks Brothersが発表した「No. 1サックモデル」でした。
その特徴はこうです。
①シングル3ボタン中一つ掛けの段返り型
②肩は極めて薄いパッドを入れた「ナチュラル・ショルダー」
③ウエスト部分に全く絞りを入れない「ボックス・シルエット」
④背中は「センター・ベント」
【No.1サックモデル】
そして、これがその後につながる「アメリカン・スタイル」のすべての原型です。
こうしてできあがった「アメリカントラディショナルの原型」を元に、時代は「アイビールック」へと進んでいくのです。
【第4章】アイビールックとは「大衆ファッション」だった!?
「アイビールック」とは、簡単に言えばアメリカ東海岸にある名門大学8校で構成される「アイビーリーグ」の学生やOBの服装、そしてその生活スタイルに至るまでを指します。
しかし、本来的な「アイビーリーグ・スタイル」とは、時代区分【1】の「トラディショナル・アメリカンスタイル」のことで、その後も「Brooks Brothers」や「J.PRESS」・「Chips」のスーツを着続けた人達です。
では、「アイビールック」とは一体何だったのでしょうか?
結論から言うと、「アイビールック」とは人為的に作られた「流行」でした。
つまり、服飾における「文化・伝統」ではなく、一時的な「現象」だったということです。
もっとわかりやすく言うと、前時代的な「エリートスタイル」ではなく、現代的な「大衆ファッション」だったと言えます。
とは言え、この時代に生まれた「アイビールック」が、現在世界中で愛されている「アメトラ」や「アメカジ」に与えた影響やその功績は計り知れないものがあります。
どういうことか説明していきましょう。
前時代の「トラディショナル・アメリカンスタイル」の頃は、既製品という概念がまだなく、洋服は基本「誂え」でした。
ですから、「Brooks Brothers」のNo. 1サックスーツや、「J.PRESS」・「Chips」などで仕立てたスーツを着ることは、アイビーリーグに通えるようなニューイングランド地方の裕福な学生や、マディソン街で働くエリート広告マンなど、ごく一部の成功者に許された特権でした。
これは前回の記事の中でも説明しましたね。
しかし、戦後1950年頃になると、技術力の発展から量産体制が確立し、既製品を大量生産するスーツメーカーが台頭してきます。
それらの量産メーカーがこぞってBrooks BrothersのNo. 1サックスーツを模倣して大量生産したため、安価で全米に出回り始めたのがこの頃です。
そんな中、こうした量産スーツメーカーのデザイナー達が中心となってI.A.C.D(インターナショナル・アソシエーション・オブ・クロージング・デザイナーズ)という組織が結成されます。
そして、1954年、I.A.C.Dが戦略的にその年の「流行」として「アイビーリーグ・モデル」を指定し、世界的に公認されて生まれたのが「アイビールック」でした。
この結果、アイビーリーグ出身者以外の人でも、アイビーリーガーみたいな格好ができるようになったのです。
だから、「アイビー・スタイル」ではなく、「アイビールック」なのです。
LOOKとは、「〇〇のように見える」という意味ですから。
繰り返しますが、生粋の「アイビーリーグ・スタイル」は、前時代の「トラディショナル・アメリカンスタイル」のことですから、そういう人達はアイビールック全盛の時代も流されず「Brooks Brothers」のNo. 1サックスーツや、「J.PRESS」・「Chips」などで仕立てたスーツを親子代々着続けていたことは言うまでもありません。
ちなみに、「アメリカントラディショナルとは何か?【序章】」で紹介した、「日本版ガラパゴス・アイビー」の思考回路は、この1950年代の「アイビールック」のみを切り取り、その後進化を止めてしまったものです。
それを21世紀の今でも、相変わらず意気揚々と語っているわけですから、日本のファッション感覚は半世紀以上遅れてしまっていると言わざるを得ません。
しかし何はともあれ、結果としてこの「流行としてのアイビールック」が基礎となって、現在世界中で愛されている「アメトラ」「アメカジ」をしっかりと支えていることは間違いありません。
ですから、アイビールックという「流行」がその後のアメリカン・ファッションに与えた影響やその功績は計り知れないのです。
こういった歴史的背景を総括した上で、
アイビールックとは、流行としての「大衆ファッション」だった。
その「流行」がアメリカのファッションを広く世界に伝え、現在世界中で愛されている「アメトラ」「アメカジ」の基礎となった。
と結論付けることができると僕は考えています。
そして時代は、70年代にラルフローレンが仕掛けた「ブリティッシュ・アメリカンスタイル」を経て、80年代の「プレッピールック」へと流れていきます。
【第5章】知られざるブリティッシュ・アメリカン・スタイルの衝撃
ここまで、「アメリカントラディショナルとは何か?」と題して記事を書き進めてきましたが、ここで少しおさらいしておきます。
まず最初に押さえておくべきは、
アメリカントラディショナルとは、20世紀のアメリカにおける4つのスタイルの総称である。ということでした。
そして、その4つのスタイルとは以下のようなものでしたね。
【1】トラディショナル・アメリカンスタイル(19世紀末〜20世紀初頭)
【2】アイビー・ルック(戦後1954年頃〜1960年代半ば)
【3】ブリティッシュ・アメリカンスタイル(1960年代後半〜1970年代)
【4】プレッピー・ルック(1980年代)
その上でまず【1】の「トラディショナル・アメリカンスタイル」を取り上げ、次に【2】の「アイビールック」に焦点をあて、これが人為的に作られた「流行」であり「大衆ファッション」であったこと。そして、これが日本をはじめ全世界にアメリカン・ファッションが広まるきっかけとなったことなどを書きました。
この章では、70年代にラルフローレンが仕掛けた【3】の「ブリティッシュ・アメリカン・スタイル」について詳しく触れていこうと思っています。
「ブリティッシュ・アメリカン・スタイル」とは簡単に言うと、それまでのアメリカン・スタイルをベースとした上で、新たに英国調のタッチを大胆に取り入れた「新しいアメリカン・スタイル」のことです。
評論家の間では、「ニュー・アメリカン・スタイル」とも呼ばれています。
それを仕掛けたのが、「ポール・スチュアート」と「ラルフローレン」でした。
これまでの章で書いた通り、1950年までアメリカ国内はBrooksBrothersの「No. 1サックモデル」の時代で、それを着ることができるのは、ごく一部の富裕層やエリートに限られていました。
これが、全てのアメリカン・スタイルの原点である「トラディショナル・アメリカンスタイル」でした。
それが50年代後半から60年代に入ると、一般のアパレルメーカーにより模倣・量産され、誰もが着ることができる「大衆ファッション」となります。
これが「アイビールック」でしたね。
しかし、そんなアイビールック全盛のこの頃にも「アイビー・スーツは若すぎて子供っぽい」と思う人や、フレッド・アステアやクラーク・ゲーブル、ケーリー・グラントなど往年のハリウッドスター達が着こなしたブリティシュ・スタイルに憧れる人たちが少なからずいました。
【ケーリー・グラント】
【クラーク・ゲーブル】
その人たちに向け、フロントを2つボタンにしてウエストを絞り込み、サイド・ベンツを採用するなど、英国調のタッチを盛り込んだスーツを作っていた店がニューヨークにありました。
それが「ポール・スチュアート」です。
そう、実はこの頃すでに、その後の「ニュー・アメリカン・スタイル」に繋がる新芽が顔を出していたのです。
ですが、この「新芽」がその後ラルフローレンによって水と栄養を与えられ満開の花を咲かせるのは、もう少し後の話です。
さて、この頃ラルフローレンはというと、大学を中退後、アメリカ陸軍に入隊しています。
1964年に除隊したあとはBrooks Brothersに入社し、1967年頃までセールス・パーソンとして働きます。
そして、1967年にノーマン・ヒルトン財団支援のもと、自身のネクタイブランドを立ち上げ、その後1968年にヒルトン財団からブランドを購入し、独立。本格的に始動します。
そのラルフローレンが独立後取り組んたのが、新たに芽生えていたブリティッシュ・モデルを、独自の世界感でブラッシュ・アップし、「新たなアメリカン・スタイル」として確立させるという難題でした。
しかし、ラルフローレンはそれを見事にやってのけます。
こうして生まれたのが、その後新たなアメリカン・スタイルとして定着していく「ブリティッシュ・アメリカン」です。
その特徴はこうです。
◾従来のNo. 1サックモデル同様、肩は「ナチュラル・ショルダー」で、胸の部分も従来と変わらずゆとりがある。
◾しかし、全体のシルエットは従来のNo. 1サックモデルとは違い、ウエストで絞り込む。
◾2つボタンで上ひとつ掛け(No.1サックモデルは、3ボタン段返り中ひとつ掛け)
◾センターベントに加え、サイドベンツのものも多く登場する。
◾グレン・チェックなどの英国調の伝統柄を大胆に使用
【ブリティッシュ・アメリカン・スタイル】
1970年代にラルフローレンによって生み出されたこの新たなアメリカン・スタイルは、全米に波及し、その後瞬く間に現在のような不動の地位まで上りつめました。
これが意外と知られていない「ブリティッシュ・アメリカンの衝撃」です。
そして、この時点をもって、現在の「アメリカン・スタイル」は完成しきったと言って良いでしょう。
ここから現在までは、ほぼ何も変わっていません。
現存するアメリカン・スタイルのスーツを考えてみても、
①Brooks BrooksBrothers のNo.1サックモデル
②ラルフローレンのブリティッシュ・アメリカンモデル
の2つです。
このように歴史を紐解いていくと、
19世紀末のカスタム・テーラーの時代を経て、20世紀初頭にBrooks BrothersのNo.1サックモデルが誕生し、それが量産時代の到来で発生した「アイビールック」という流行に乗って世界中に波及。
そして、その中からアメリカと英国をミックスした新たな解釈が生まれ、1970年代にラルフローレンがそれを完成させた。
という、一連の流れが見えてきますね。
アメリカントラディショナルとは「アイビーだ、VANだ、ブルックスだ」「段返りのフックベントだ」「ボタンダウンだ」とか言う、まるでガラパゴス島のイグアナみたいな人が本当に多いので辟易してしまいますが、
「アメリカントラディショナル」とは本来、このような一連の時代の流れを指し、その中で生まれてきたアメリカ独自のスタイルのことを言うのだと僕は思っています。
そして、その中で、現在アメリカントラディショナルの代表として挙がる「Brooks Brothers」「J.PRESS」「ポール・スチュアート」「ラルフローレン」の4つのブランドが各時代で果たした役割が特に大きかったということでしょう。
つまり、アメリカントラディショナルとは、決して特定のディテールや特定のメーカー、ブランドを指すものではないということです。
そして、次の章では最後の「プレッピールック」について触れ、アイビーとの違いを説明していきたいと思っています。
【最終章】アイビーとは何だっかのか?
【1】アイビーとプレッピーは同じ!?
1980年代に起こった「プレッピールック」とは、言ってしまえばこれまた人為的な流行でした。
一時的な現象に過ぎないという点では、1950年代半ば〜60年代にかけての「アイビールック」と全く同じです。
それどころか、はやった時代が違うことと、ネーミングが違うことをのぞけば、「アイビーとプレッピー」は内容もほぼ同じです。
ネーミングの「プレッピー(PREPPY)」とは、「プレパラトリー・スクール(preparatory school)→ プレップ・スクール」の略語で、正確には「プレップ・スクール」に通う生徒たちのことを言います。
プレップ・スクールは、アイビーリーグ進学を目指す生徒たちが通う全寮制の私立名門進学校のことです。
※アイビーリーグ8校…ハーバード大学・イエール大学・ペンシルベニア大学、ダートマス大学、コーネル大学、ブラウン大学、プリンストン大学、コロンビア大学
このプレップ・スクールの生徒たち(プレッピー)の校内でのファッションや寮での生活スタイル全般が「プレッピールック」です。
【プレッピールック】
でも、はっきり言って、こんなものはただの言葉遊びでしかありません。
だって、プレップスクールの生徒(プレッピールックの生徒)がそのままアイビーリーグに進学したら、アイビールックの生徒になるわけですからね。
つまり、プレップスクール時代のファッションや生活スタイル(プレッピールック)をアイビーリーグ進学後もそのまま持ち込んだものが「アイビールック」だということです。
なんか馬鹿らしいですよね。
なので言ってしまえば、「アイビールックはプレッピールック」で、「プレッピールックはアイビールック」なんです。
こうしたファッション業界の「言葉遊び」に惑わされないようにしてくださいね。
【2】強いて違いを挙げるなら…
アイビールックをプレッピールックの違いを強いて挙げるなら、それは「着ているアイテムの違い」と「色使いの違い」です。
アイビールックの時代(1950年代後半〜1960年代半ば)は、大学のロゴが入ったレタードカーディガンやセーター、ネクタイを着用した正統派のジャケットスタイルなどが目立ちますし、色使いも地味な印象です。
【アイビールック】
一方、プレッピールックの時代(1980年代以降)は、ラガーシャツをやカラフルなチノパンやスウェット、ノーネクタイのブレザースタイルといったラフな出で立ちが目立ちます。
【プレッピールック】
こういった違いから一般的には、「プレッピーはアイビーを着崩したものである」と定義されがちです。
さらに、日本のアイビールック信者の中には、「アイビースタイルを間違えて解釈していて、腹立たしい」「一緒にして欲しくない」「偽アイビールック」などと嫌悪感を示す人もいるようです。
しかし、そのいずれも間違いです。
そもそもアイビーを着崩す着崩さないとか、解釈がどうのこうのという話ではなくて、「アイビールック」も「プレッピールック」もその時代に合ったアイテムをただ着ていただけなのです。
1960年代の「アイビールック」の時に着られていたロゴ入りのセーターやカーディガンが、1980年代の「プレッピールック」の時になくなったのは、ただ単に時代遅れでダサかったからに過ぎません。
1960年代当時の型にはまったようにどこでもネクタイを着用するスタイルも、1980年代においては時代にマッチしていなかったのでしょう。
プレッピールックの色使いが全体的にカラフルなのは、1960年代にはなかった発色の良い服が普及していたからに過ぎません。
1950年代や60年代は、アイビーリーグというエリート名門校に通っているという誇りがまだまだみなぎっていた時代ですし、世間も注目していたでしょうから、スクールロゴの入ったセーターを日常的に来たり、ネクタイを締めて型通りに決めるジャケットスタイルにも、それなりに意味があったのでしょう。
しかし、1980年代になると、当時のような誇りはすでに薄れていて、どちらかというと「エリート家系のおぼっちゃま」と見られることに少し恥ずかしさを感じていたようです。
ですから、わざと不良っぽくネクタイを緩めてみたり、首元が擦り切れたボタンダウンシャツを着たり、ボロボロのローファーを履いてみたりしていたのです。
そう考えると、スクールロゴの入ったセーターやレタードカーディガンなどは、どうしようもなくダサいものに成り下がっていた可能性の方が高いのです。
でもファッション業界は「プレッピーのその反骨心が〝逆に〟格好良いよね!」として担ぎ上げたわけですね。
「流行」とはいつの時代もそんなものです。
【まとめ】アメリカントラディショナルとは何か?
アメリカントラディショナルとは、20世紀のアメリカにおける4つのスタイルの総称である☟
【1】トラディショナル・アメリカンスタイル(19世紀末〜20世紀初頭)
【2】アイビー・ルック(戦後1954年頃〜1960年代半ば)
【3】ブリティッシュ・アメリカンスタイル(1960年代後半〜1970年代)
【4】プレッピー・ルック(1980年代)
【参考文献】
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