こんにちは☆
いつも「洋服屋の一生モノブログ」をご覧いただき、本当にありがとうございます!
ブログ運営者のタニヤンです☆★
この記事は、昨年連載記事として5回に分けて書いた「最果ての島のツイード文化」を、完全版として1つに再編集したものです。
☟過去の連載☟
僕のブログは、1記事平均3,000字近くあるものが多く、再編集すると10,000字近くになるので、最後まで読むのはボリューム的にキツイかもしれません(汗)
少しずつ読みたい方は、今まで通り上記のリンクから個別にご覧ください☆★
「Harris Tweed」
この生地の名前自体は、世界中で知られているし、日本でも大人気です。皆さんも洋服や雑貨などで、何度も目にしているかと思います。
では、この「Harris Tweed」が一体どこで、どのようにして作られていて、どんなアイデンティティを持つのか?について知っていますか?
これだけ知名度がある生地なのに、そのバックボーンは不思議と知られていない。実際のところ、これが現状だったりします。
ということで、今回は「Harris Tweed」が持つ、独特の歴史や文化に迫ってみたいと思います。
【1】Harris Tweedの故郷 「アウター・へブリディーズ諸島」
「アウター・ヘブリディーズ諸島」
スコットランドの北西部に位置し、大小無数の島々が点在する最果ての地域です。そして、そのアウター・ヘブリディーズ諸島の中でも最北端に位置する、ハリス島とルイス島が Harris Tweedの故郷(ふるさと)です。
【アウター・ヘブリディーズ諸島】
【アウター・ヘブリディーズ諸島の中のルイス島・ハリス島】
Harris Tweedの故郷であるこの島は、島の中央にある境界線を境に、北側がルイス島、南側がハリス島と呼ばれています。(上の地図をご覧頂くとわかりやすいかと思います)
大地は泥状の炭で形成されている為土壌が貧しく、大きな樹木は育つことができません。
北側のルイス島には山がなく、大地は緩やかな起伏を描いて水平線へとつながていくのに対し、ハリス島は山岳地帯で、起伏が激しく、岩肌がむき出しになった険しい山々が連なっている。という具合に、2つの島はそれぞれ対照的な地形を特徴としています。
この最果ての島の歴史は、5000年以上という気が遠くなる程長いもので、ルイス島に立つ「カラニッシュの巨石遺跡群」は、あの有名なイングランドの「ストーン・ヘンジ巨石遺跡群」よりも古いと言われています。
【ルイス島のカラニッシュ巨石遺跡群】
そしてこの島は、スコットランドの「ケルト文化」が今なお色濃く残る、数少ない土地でもあるのです。
【2】ケルト人とケルト文化
ここで、「ケルト人」と「ケルト文化」について少し触れておかなければなりません。
「ケルト人」とは、古代のヨーロッパ大陸に住んでいたケルト語を話す民族のことを指します。
現在、ケルト語を話した「ケルト人」は、ひとつの民族集団としてではなく、古代のヨーロッパ大陸に広く分布していた「先住民族」のひとつである。という捉え方をされていて、彼らは同じ言葉や文化を持っていながら、一箇所に定住することはなかったようでです。
一説には、現在の中央アジアあたりの草原から馬などに乗って渡来してきた人々だと言われており、文字文化を持たなかった為、その存在は未だに解明されていない部分も多く謎に包まれています。
キリスト教が入ってくるまでのケルト宗教は、
- 「自然崇拝」の多神教であり、
- 「輪廻転生」「霊魂不滅」を信じるものでした。
その後、キリスト教化してもなお、「ケルト・キリスト教」として、自然崇拝を含んだ独自の世界観を持ち発展します。
しかし、アングロ・サクソン系ゲルマン民族やバイキングなどの侵略により、ヨーロッパ大陸を追われたケルト人は、急速に減少していきます。
そして次第に忘れ去られ、ついには歴史の裏側へと追いやられてしまいました。
この時、大陸で生き残ったケルト人は「大陸のケルト」と呼ばれ、その後、ローマ帝国の支配下でゲルマン系フランク人に吸収され、現在のフランス人のルーツになったと言わています。
一方、この時海を渡り「ブリテン諸島」に移住したケルト人は「島のケルト」と呼ばれ、現在のアイルランドやスコットランドに残る、独特の文化に大きな影響を与えました。
そして、Harris Tweedの故郷である「ルイス島」や「ハリス島」も、この「島のケルト」の影響を大きく受けました。
実はHarris Tweedという生地の中には、
そんな「ケルトの世界観」が凝縮されているのです。
【3】ケルト文化に彩られた Harris Tweed
では、Harris Tweedの中に生き残った「ケルトの世界観」の一端を見ていきましょう。
まずは、ケルト信仰の象徴である「ケルト十字」です。
これは、キリスト教のシンボルである「ラテン十字」と太陽を表す円を組み合わせたものです。
【ケルト信仰の象徴、ケルト十字】
勘の良い皆さんは、すでにお気付きかと思いますが、これを元にして考案されたのが、現在のHarris Tweedのマークです。
下のHarris Tweedのマークは、ケルト十字と、ハリス島に所縁の深い貴族、ダンモア伯爵家の家紋を組み合わせたものであると言われています。
【Harris Tweedのマーク】
そして、僕が1番強調してお伝えしたいのは、
Harris Tweedに採用される色彩や柄についてです。
Harris Tweedに採用される柄や色彩は、全て島の風景や自然に由来している。
これこそ、僕が皆さんに知って欲しい「最も重要な事実」なのです。
下の画像をじっくりとご覧ください。
【島の自然とHarris Tweed】 ※左が生地です。
【島の自然とHarris Tweed】※左が生地です。
【島の自然とHarris Tweed】※右が生地です。
【島の自然とHarris Tweed】※右が生地です。
このように、山・空・大地・岩・苔・花など、島における全ての自然の豊かな色彩ひとつひとつが、Harris Tweedの中に息づいている。という事が、お分かり頂けるかと思います。
「島の美しい自然を敬愛し、身に纏う(まとう)」
これはケルト信仰の中核を成す、「自然崇拝の世界観」に他なりません。
古代ケルト文化に彩られたこの美しい生地は、島の人々によって大切に継承され、保存されてきました。
そういった観点から見ていくと、「Harris Tweedは、もはや文化遺産である。」と言い切ってしまっても過言ではない。
僕は心の底からそう思っています。
【4】「ツイード」について
さて、これまで「Harris Tweed」つまり「ツイード生地」について話してきましたが、この「ツイード」とは一体どのような織物なのでしょう。
辞書を引くと、こうあります。
ツイード(Tweed)
イギリス・スコットランドの毛織物の一種。
もともとはスコットランド産の羊毛を手紡ぎした太い糸を、手織りで平織りまたは綾織りにした、粗く厚い毛織物。
実に簡潔にまとまっていて、わかりやすいですね。
これをもう少し詳しく補足すると、スコットランド・アイルランド地方の毛織物である「ツイード」のスタートは、「農民の防寒着」としてでした。
厳冬の気候から家族を守るため、家で飼育している羊の毛を刈り取り、家庭で手紡ぎ(ホーム・スパン)し、木製の織機を用い、家族のために丁寧に織り上げたものだとされています。
「ツイード」の語源は諸説あるのですが、一般的に定説となっているのが、「読み間違い」による説です。
1830年頃 ロンドンの生地商人が、スコットランドの国境にある会社から受け取った書類の中に、生地の柄の名称として「ツイール(Tweel)」と書かれていました。
(おそらく綾織物(ツイル)のことだったのではないかと推測されます。)
しかし、この生地がイングランドとスコットランドの国境付近にある、「ツイード河」付近で織られていたことから、それを読んだ生地商人が、「ツイード(Tweed)」と読み間違えてしまい、この生地をそのまま「ツイード(Tweed)」として売り出したところ、これが評判を呼び、定着してしまった。という説です。
他にも類似の〝伝説〟がいくつか語り継がれていますが、真偽のほどは定かではありません。
しかし、18世紀の終わり頃には、スコットランド・アイルランドを中心とする当時のイギリス連合国全土で、ツイードが盛んに織られるようになっていたことは事実で、
▪アウター・ヘブリディーズ諸島で織られる
「ハリスツイード」
▪アイルランド北西部で織られる
「ドニゴール・ツイード」
▪シェトランド諸島で織られる
「シェトランド・ツイード」
などが次々と生まれていきます。
さらに、19世紀には「農民の防寒着」から、貴族たちが釣りや狩猟の時に着る「カントリー・ウェア」に格上げされ、現在知られているような「高級素材」としての地位を確立していくのです。
そして、この時期に生まれた各地のツイードのうち、商標登録されている世界唯一のツイード生地が、「Harris Tweed」なのです。
【2】世界で唯一、商標登録されているツイード生地
「Harris Tweed」の名前は知っていても、それがイギリス国会制定法によって守られている、世界で唯一の生地である。ということを知っている人は、あまり多くありません。
ちなみに、1993年 イギリス国会で正式に、「Harris Tweedの定義」が以下のように定められました。
▪「Harris Tweed」を生産できるのは、ハリス島、ルイス島、ウィスト島、バラ島と、その周辺のアウター・ヘブリディーズ諸島の島に限る。
▪ピュア・ヴァージンウールのみを原料とし、染色・紡績・織り上げまでの全ての工程を、各島内で行わなければならない。
▪「Harris Tweed」を織り上げるのは、島の織り手の自宅とし、全て人力による手織りである事。
※ピュア・ヴァージンウール
→羊から刈り取られ、初めて使われるウールのことで、未脱脂のものを指します。自然の油分をたっぷり含んでいるので、湿気に強く、また保温性と耐久性に優れています。
以上の条件を満たしたものだけが、最終的に商標登録である検印スタンプが押され、「Harris Tweed」と名乗ることが許されるのです。
その後 時代の要請に対応する形で、多少の改正はあったものの、現在でもこの基準は、ほぼ当時のまま厳格に守られています。
生産工程の具体的な流れを簡単に追っていくと、スコットランド産の羊から刈り取られた、ピュア・ヴァージンウールは、
「MILL(ミル)」と呼ばれる紡績工場で最初に染色されたのち、紡績され、「原毛」から「毛糸」になります。
現在ルイス島では、
▪『ハリスツイード・テキスタイル』社
▪『ハリスツイード・スコットランド』社
▪『ハリスツイード・ヘブリディーズ』社
の3つのミルが稼働していますが、現在のハリスツイードの生産量の約90%は、
2007年に操業を開始した『ハリスツイード・ヘブリディーズ』社で作られています。
こうしてミルで染色・紡績された「毛糸」は、決められた柄ごとに、経糸用と緯糸用にセットされ、デザイン見本、さらには注文書と一緒に織り手に届けられます。
この注文書に従い、島の織り手の自宅で丁寧に織り上げられ、「毛糸」から「生地」になっていくのです。
【島の織り手によって、丁寧に生地が作られる】
そして、織り上げられた生地は再びミルに戻され、洗いをかけ、地直ししたのち、50メートルごとに検品にかけられます。
厳しい検査に合格したものには、3メートルごとにハリスツイードの商標登録がスタンプされ、製品として全世界に出荷されます。
現在のマーケットは、主にアメリカ・ドイツ・日本です。
そして2012年には、その中で日本が最大のマーケットになりました。
僕たちが今手にしている「Harris Tweed」は、現地で上記のような厳しい条件をクリアし、さらには、厳格な検査を通過した、〝Harris Tweedの中の精鋭達〟なのです。
【5】僕が愛用しているHarris Tweedのジャケット
ここで僕が愛用している「Harris Tweed」のジャケットを紹介しておきましょう。
5年前にBrooks brothersでオーダーした、Harris Tweedのジャケットです。5年間ガシガシ着て、柔らかくなり体に馴染んできました。
全くヘタれることもなく、毛布に包まれているような暖かさが最高です。
「一体何年着られるんだろう」と考えさせてくれる、本当に頼もしい1着です。
まさに、僕の〝一生モノ〟のジャケットです。
【Brooks brothers のジャケット】
【6】技術革新と生地の変遷
古着好きの人や、長くハリスツイードを愛用している人の中には「ハリスツイードが昔に比べ、薄く・軽くなっている」と感じている人、結構いるんじゃないでしょうか。
結論から言うと、実際そうなんです。ハリスツイードは、以前に比べ薄く・軽くなっています。
それは、「品質が落ちた」とか「糸を節約している」とかそう言う陰気な理由ではなく、「技術革新」によって、そうなっていったのです。
以下に詳しく説明します。
ハリスツイードには、
- 幅75センチのいわゆるシングル幅の生地と、
- 幅150センチのいわゆるダブル幅の生地
の2種類が存在します。
そして、シングル幅の生地を織るのが島でおよそ100年の歴史を誇る織機「ハッタースレイ」です。
この織機が、昔ながらの手織りの風合いをもつ素朴でどしっとしたハリスツイードを織り上げます。
一方、ダブル幅の生地を織るのが、1996年に21世紀に向けて新しく登場した織機「ボナス・グリフィス」です。
この織機で織られるハリスツイード は、より均一な織り目を作ることができ、この織機の登場で効率と織る速度が飛躍的に向上しました。
このように、機織り(はたおり)機のイノベーションの歴史が、シングル幅とダブル幅という、「2種類のハリスツイード 」を生み出していったというわけです。
ハッタースレイで織られるシングル幅のハリスツイード は、一定面積あたりの生地の重量を表す「目付」の平均が、540gであるのに対し、ボナス・グリフィスで織られるダブル幅のハリスツイードは、目付の平均が「フェザー・ウェイト」と言われる470g程度で、中には「スーパー・ファイン」という目付390g〜420gのツイードも織られていて、これが世界中で支持されています。
※一定面積あたりの生地の重量である「目付」が大きいほど、どっしりとした重厚感のある製品が仕上がります。
これは、現在の世界のファッショントレンドである、
「より軽く、より薄く」
という需要に対応する為の企業努力の結晶でもあります。
そして、現在生産されているハリスツイードの実に9割は、新式織機「ボナス・グリフィス」によるダブル幅の、
〝薄く・軽い〟ハリスツイードなのです。
これが、ハリスツイードが以前より薄く・軽くなっている理由です。
【7】技術革新の影でひっそりと姿を消すもの…
とは言え、昔ながらの機械を用いて人が手で織り上げる、素朴でどっしりとした風合いのハリスツイードを支持する声が、各方面から挙がっているのも事実です。
例えば、オーダーメイドのスーツを手がける高級紳士街、ロンドンにあるサヴィル・ロウのテーラー達は、シングル幅のハリスツイード の熱烈な支持者で、ハッタースレイ織機で織られたシングル幅のハリスツイードが入手困難になると聞くや否や、彼らはついにハリス島まで失われたツイードを求めて買い付けに行ったと言います。
このサヴィル・ロウの一流テーラー達の執念の行動からも読み取れるように、シングル幅とダブル幅の違いは、ただ単にその生地のサイズだけでは無いのです。
機械が違うことによって、ツイード生地の〝風合い〟が変わってまうのはもちろんのこと、なんと驚くべきことに、使用する羊の品種まで変わってしまうのです。
従来ハリスツイード に用いられるウールは、この地に古来から生息していた羊の種類である、「ブラック・フェイス種」でした。
厳しい寒さや風雨にも耐えるブラック・フェイス種の羊は、アウター・ヘブリディーズ諸島の厳冬の気候に見事に適合した品種です。
このブラック・フェイス種から取れるウールは、繊維長200〜300ミリと毛足が長く、太くて丈夫なごわごわとした手触りを持ちます。
かつてのハリスツイードに見られた「丈夫で長持ちする毛織物」というイメージは、このブラック・フェイス種のウールが持つ特徴そのままなのです。
では、現在ではどうかというと、羊の種類は従来の「ブラック・フェイス種」から、元はイングランドの純血種で、現在はヨーロッパ各地、オーストラリアなどで飼育されている「チェビオ種」にとって代わられています。
チェビオ種の羊から取れるウールは、繊維長が70〜125ミリと短く光沢があり、縮れている為弾力性に富んでいます。
ブラック・フェイス種ほど、過酷な環境下で逞しく生き抜いてきた種類ではない為、チェビオ種のウールから織られるダブル幅のハリスツイード は、幾分柔らかく軽くなるという違いが出てきます。
そして、従来のシングル幅のハッタースレイ織機は、分厚く固いブラック・フェイス種のウールに適合するよう開発された織機なのに対し、新しいダブル幅のボナス・グリフィス織機は、より毛足が短く、弾力のあるチェビオ種のウールに適合するように開発された織機なのです。
つまり、シングル幅とダブル幅という〝2つのハリスツイード 〟には、機械の違いによる風合いだけではなく、羊毛の種類による風合いの違いも現れてくるのです。
この違いは、20世紀初頭からほぼ1世紀にわたり、ハリスツイードで貴族のカントリー・ウェアを仕立ててきたサヴィル・ロウのテーラー達からしたら、まったくの別物だったのでしょう。
20世紀初頭のハリスツイード黄金期を築いた、ハッタースレイ織機によるシングル幅のハリスツイードは、今や世の中から消え去ろうとしています。
現在、ダブル幅の織り手は約130人であるのに対して、昔ながらのシングル幅を織る織り手は30人ほどしか残っていないのが現状だそうです。
技術革新の影で、古き佳き時代の原風景が消えていく…
仕方のない事だと分かってはいますが、なんとかバランスを取る形で残せないものでしょうか…
前述した通り、ハリスツイード はケルト文化に彩られた「文化遺産」だと僕は思っています。
その美しい原風景を少しでも残す形で、後世に伝えてほしいと切に願います。
【参考文献】
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