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戦争とファッション 〜第一次世界大戦とトレンチコート【1】〜

戦争とファッション

〜第一次世界大戦とトレンチコート〜

【1】

 

こんにちは。

このブログは、〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、キーワードは、〝一生モノ〟です。

 

「一生モノというフィルターを通してモノを見る」ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、本当に良いモノだけを抽出していこう。というのが大きなテーマです。

 

 

「戦争とファッション」

 

このテーマは、洋服の発展を考える上で、最も重要な事項のひとつであるのと同時に、とても悲しく皮肉なものでもあります。

 

しかし、あまりに認知度が低いこのテーマを皆さんに知ってもらうことで、

 

  • ファッションとは何か
  • 今僕たちが着ている洋服がどのように進化してきたのか

 

という根源的な問いに対する「一つの答え」になるのではないか。と考えています。

 

話は1914年〜1918年の第一次世界大戦。そんなに昔の話ではないのです。

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【1】戦争とファッション

今回参考文献として使用した、『WORK WEAR⑤』(ワールド・フォトプレス社 出版)の中に、

僕が思わず引き込まれてしまった、グラフィック・デザイナー長澤均さんのこんな文章があります。

 

「ファッションは束の間の夢でありながら、実用品のひとつである。それゆえ、戦争という流行とは無縁の〝殺し合いの場所〟でさえもファッションは進化し続けてきた。」

「戦争は、時として美しく合理的なファッションを生むが、ファッションが戦争を招来したことは一度もない。ただ一言、それは美しくないからだ。」

 

僕はこの2つの文章には、今回のテーマの結論が凝縮されていると思っています。

【2】第一次世界大戦とは何だったか。

ここで、第一次世界大戦とは何だったか。についてお話ししておかなければなりません。

 

結論から先に言うと、第一次世界大戦とは、人類が歴史上初めて経験した「大量虐殺戦争」でした。

 

キーワードは、「新兵器時代の到来」と「塹壕戦(ざんごうせん)」です。

 

この2つが、当初1年以内に終わると予想されていたこの戦争を、3年も長引かせた要因と言っていいでしょう。

 

以下、詳しく説明していきます。

 

19世紀までの戦争は、古式豊かな儀礼服的な軍服とともに、軍隊同士の個別の戦いといった、騎士的な戦闘形態の名残がありました。

 

しかしそういった古式の戦闘形態は、20世紀に入り一変します。

 

簡単に言うと、19世紀までの「突撃型の短期決戦」から「消耗型の長期戦」に変わっていきます。

 

では、なぜそれ程までに劇的に変わっていったのか。

 

その一つ目の要因は、新兵器の登場と火砲・機関銃の発達。

つまり、「新兵器時代」の到来です。

 

ちなみに第一次世界大戦を期に本格的に登場した兵器が、戦車や飛行機・毒ガスなどです。

しかし、この時はまだ現在のそれとは違い、飛行機は戦闘機というよりは偵察機に近く、戦車も現在ほどの破壊力は持っていませんでした。

 

それよりも、圧倒的な破壊力を持って発達したのが、火砲と機関銃でした。

これら銃火器の性能は前時代の比ではなく、一気に「大量殺戮」が可能になり、死傷者を激増させました。

 

その圧倒的な威力と、あまりの損害の大きさを前に、ドイツ側もイギリス・フランス・ロシアを中心とした連合国側も、生身の体を晒して戦うことができなくなりました。

 

その結果、双方「塹壕(トレンチ)」と呼ばれる「溝」を地面に掘ってそこにこもり、身を隠しながら戦うようになりました。

これが、戦闘形態を激変させた2つ目の要因「塹壕戦」です。

 

西ヨーロッパでは、ドイツ軍と連合国軍が向かい合って数百㎞も続く塹壕地帯が作られたそうです。

 

【塹壕戦の様子】

 

塹壕戦によって戦況は膠着状態に陥り、1914年6月の「サラエボ事件」を機に勃発したこの戦争は、長期化の一途を辿ります。

同時に兵士たちは最初の冬を、ただ大地を堀っただけの「溝」であるこの「塹壕(トレンチ)」の中で越すことになってしまったのです。

 

塹壕内での生活は、精神的にも肉体的にも過酷さを極めました。

 

それは主に〝二つの敵〟との戦いだったと言えます。

 

一つは、昼夜ひっきりなしに繰り返される砲撃や、動くものなら何でも撃ってくる敵の狙撃手、毒ガスなど

「敵軍の脅威」です。

 

そして兵士たちにとって〝もう一つの敵〟となったのが、

頻繁に降る雨による厳しい冬の寒さであり、その後に残った泥や水溜まりだったのです。

 

ひとたび雨が降ると、地面をただ掘っただけの極寒の「塹壕(トレンチ)」内部はぬかるみ、泥まみれになります。

破傷風やペスト・発疹チフスなどの病原菌が蔓延し、寒さと湿気で体がいつも濡れた状態にあり、凍傷になる兵士が続出するなど、衛生状態は最悪でした。

 

連合国軍の塹壕(トレンチ)内では、兵士の体全体を覆い、雨(水)の侵入を防ぐ衣服の調達が急務となっていました。

【3】第一次世界大戦とトレンチコート

そこで連合国軍のイギリスが軍に支給するサービスキットの中に導入したのが、ひとつのコートでした。

 

「バーバリー(Burberry)」

現在の「トレンチコート」です。

 

【1916年のイギリス軍士官向け装備品一覧表】

※「In Pack and Haversack」の1番目に「Burberry」の名で現在のトレンチコートが支給されていることがわかります。

 

第一次世界大戦期において「トレンチコート」は塹壕内の兵士達にとって、ユニフォームであったと同時に、唯一の心強い〝味方〟でした。

 

さらに、トレンチコートは開戦直後の1915年に登場した「初期型」に始まり、幾度となく改良が加えられ進化し、1918年に「完成形」に至ります。

 

そして、その開発を一手に担ったのが、「バーバリー」と「アクアスキュータム」だったのです。

 

ということで、ちょうど切りがいいので、今回の記事はこのあたりで一度締めます。

 

次回も引き続き、『第一次世界大戦とトレンチコート』と題して、戦争とトレンチコートの関係性を紐解いていきます。

 

どうぞお楽しみに。

 

【追記】

当記事を再編集し、トレンチコートの歴史【完全版】を執筆しました!

トレンチコートの歴史 〜History of Trench coat【完全版】
...

 

【参考文献】

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