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戦争とファッション 〜第一次世界大戦とトレンチコート【2】〜

戦争とファッション

〜第一次世界大戦とトレンチコート〜

【2】

 

こんにちは。

このブログは、〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、キーワードは、〝一生モノ〟です。

 

「〝一生モノ〟というフィルターを通してモノを見る」

 

ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、本当に良いモノだけを抽出していこう。

というのが大きなテーマです。

 

今回も引き続き、『戦争とファッション』と題して、第一次世界大戦とトレンチコートの関係性を紐解いていこうと思っています。

 

興味がある方は、どうぞ最後までお付き合いくださいね。

 

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【1】1915年の「初期型トレンチコート」

1914年6月の「サラエボ事件」を機に始まった第一次世界は、

新兵器の登場と銃火器の飛躍的な発達により「塹壕戦」に突入したために長期化し、

兵士達は最初の冬を極寒の「塹壕(トレンチ)」で越すことを余儀なくされます。

 

そこで兵士たちを苦しめたのが、頻繁に降る冷たい雨でした。

常に身体が雨に晒され濡れた状態であったため、寒さから凍傷になる兵士が後を断たなかったのです。

 

そこで、年が明けた1915年に連合国側のイギリス軍が、兵士の身体をすっぽり覆い、雨(水)の侵入を最小限に防ぐコートの導入を検討し始めます。

 

それが、現在の「トレンチコート」でした。

 

と、ここまでが前回の記事でお話した内容のおさらいです。

 

では、1915年に登場した「初期型トレンチコート」とは一体どのようなものだったのでしょうか。

 

今回参考文献に使用した、『WORK WEAR⑤』(ワールド・フォトプレス社)の中で、

1915年イギリス・ロンドンの服飾専門誌である『ウエストエンド・ガゼット』誌によって紹介された、初期型トレンチコートの全体像が解説されています。

当時は『ニュー・ミリタリー・〝トレンチ〟コート』として紹介されたようです。

 

 

それによると、

▪ダブル前10個ボタン型(ボタンは全て、ブラウンのレザーボタンだったようです)

▪ボタンを上まで全て留めた着方

▪カラー(襟)は、「ミリタリー・カラー」

▪肩は、「セットインスリーブ」

▪肩の上に「エポーレット」と呼ばれるボタン留めストラップ

→この当時は装備というよりも、階級章を付けるためのものといった印象。

▪共地のベルト付き

※のちに手榴弾を装着することになる「Dリング」は、この時はまだ登場していません。

▪両脇に大きなマチ付きの「パッチ&フラップ型ポケット」が付く。

→この当時のポケットは、のちの「スラッシュ・ポケット」と違いマチとフラップがついており、かなりの収納力があったと考えられます。

▪内側にボタンによる着脱式の「インター・ライニング」

→素材は「オイル・シルク」のものと、羊の毛皮で作られたものがあり、標準装備されていたのがオイル・シルクのもので、毛皮のインター・ライニングは別売だったようです。

▪採用された生地は「カーキ・ドリル」

 

※ミリタリー・カラー: 日本人が俗に「ステンカラー」と呼ぶものに近いものです。

※セットインスリーブ  →いわゆる「背広肩」のことで、スーツの上衣と同様の肩の形状を指します。

※ドリル地:「drill」 かなり古くから存在する織物のひとつで、綾織の非常に緻密に織られた丈夫なコットン地のことです。この頃はまだ「ギャバジン」の言葉は使われていないようです。

 

以上が、1915年当時の「ニュー・ミリタリー・〝トレンチ〟・コート」の全容です。

まとめると下の図のような形状のものだったようです。

 

【1915年当時のトレンチコート】

 

では、この「初期型トレンチコート」は一体どこから現れたのでしょうか。

 

往々にして服飾というものは、「以前からあるものの進化形」である事が多く、何もないところからいきなり生まれることは、ごく稀なケースを除きありません。

この「初期型トレンチコート」にも、その原型となるものが存在するのです。

【2】トレンチコートの原型となったもの ~タイロッケン・コートとロッカビー・コート~

時代を少しだけ巻き戻して、時は1910年頃。

この時期にほぼ同じ形状をした2つのコートが登場します。

 

その名は、「タイロッケン・コート」と「ロッカビー・コート」。

 

これらのコートをひとことで説明すると、「前ボタンのないトレンチコート」です。

 

つまり、

両前(ダブル)の形状ではあるのですが、ボタンはなく、バックル付きの共地ベルトをウエスト部分で締めることによって着用する。というスタイルのコートです。

 

ちなみに、

前者は1910年にバーバリー社が開発したもので、「タイ(帯)でロックして着る」ことから「タイロッケン」と呼ばれるようになりました。

一方後者はというと、1912年にアクアスキュータム社が特許を取得していて、「共地のベルトをまるで錠(ロック)のように使って着脱する」ことから「ロッカビー」と呼ばれるようになります。

 

【バーバリー社のタイロッケン・コート】

 

形状や名前の由来はともかく、この「タイロッケン・コート」と「ロッカビー・コート」がトレンチコートの直接の原型である事は、歴史的に見ても間違いないようです。

 

しかし、どうしてほぼ同じ時期に同じ形状のコートを、競合会社同士が発表できるのか?

考えてみたら、とても不思議ですよね?

皮肉なことに、その謎を解く鍵もまた、「戦争」にありそうなのです。

 

1899年〜1902年に南アフリカで勃発したボーア戦争。

 

この戦争は、イギリスが南アフリカの植民地化を目論み、現地に入植していた「オランダ系アフリカーナ」と戦った戦争です。

 

このボーア戦争時から、英国陸軍省はすでに「軽量で防水性に優れた衣服」の必要性を痛感していて、密かに英国陸軍省とバーバリー、アクアスキュータムの3社間での共同開発を進めていた。という説があります。

 

そして、

いわばその中間報告としての両者の成果が、「タイロッケン・コート」であり、「ロッカビー・コート」だったというのです。

 

しかし、

もしこの時に3者間で、実際に共同開発が行われていたとすると、バーバリーとアクアスキュータムが同時期に、それもほぼ同じ形状のコートを発表したことの辻褄が合うんです。

 

と言っても、

100年以上も前の話なので、今となってはこういう説を題材にして想像を働かせていくしかないのですが、考え出すととても面白いですよね。

 

と同時に…

古くからある洋服の発展の歴史には、必ずと言って良いほど「殺し合いの歴史」が絡んでいるという、悲しさと虚しさが湧き上がってくることも事実です。

 

このように、ある服の歴史を追っていくと、必ずどこかでその原型が現れます。

それを追っていくと、またその原型が現れます。

 

これが服飾の面白さであり、なんとも言えない奥深さでもあるのです。

 

次回は、「第一次世界大戦とトレンチコート【3】」と題して(まだ続くんです(笑))

「初期型トレンチコート」から「完成型」までを追いかけていこうと思っていますので、皆さんどうぞお楽しみに。

 

【追記】

当記事を再編集し、トレンチコートの歴史【完全版】を執筆しました!

トレンチコートの歴史 〜History of Trench coat【完全版】
...

 

【参考文献】

コメント

  1. 門ちゃん より:

    もう一枚欲しくなりました。

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