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英国人が認めた〝タフな服〟【3】 〜Barbour(バブアー )物語〜

 

英国人が認めた〝タフな服〟

〜Barbour(バブアー )物語〜

【3】

 

こんにちは。

このブログは、〝洋服屋の一生モノブログ〟というタイトルからも分かる通り、キーワードは、〝一生モノ〟です。

 

「〝一生モノ〟というフィルターを通してモノを見る」

ことで、世の中に氾濫したモノを一度篩(ふるい)にかけ、本当に良いモノだけを抽出していこう。というのが大きなテーマです。

 

前回の『Barbour(バブアー )物語【2】』では、20世紀におけるBarbour飛躍の時代と、特にモーターサイクル・ウェアの分野での活躍についてご紹介しました。

 

今回は、「Barbour」の名を世界に知らしめたもう一つの要素である「第2次世界大戦」にスポットを当てて話を展開していきます。

 

どうぞ最後までお付き合いください。

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【1】第1次世界大戦とBarbour

1914年〜1918年に起こった第1次世界大戦時、バーバリーやアクアスキュータムと同じように、Barbourも英国軍に協力しミリタリー・クロージングを提供していました。

 

下の1917年のカタログを見ると、確かにオイルドクロスのトレンチコートを生産しています。(赤いマーカー部分)

 

【1917年のカタログより】

 

しかし、

この時は、バーバリーやアクアスキュータムのトレンチコートの陰に隠れ、Barbourはそれほど戦地で重宝された形跡が見当たりません。

 

当時はまだ知名度がそれほどあったわけではないでしょうし、生産規模も小さかったでしょうから、当然と言えば当然です。

 

それよりも僕が注目したいのは、

当時戦場で着られたトレンチコートの裏側に標準装備されていた、着脱式の「インター・ライニング」です。

今、僕たちが〝ライナー〟と呼ぶあれです。

 

このインター・ライニングに採用されていた素材が「オイルド・シルク」だったことが、記録に残っています。

※詳しくは、過去の記事(第1次世界大戦とトレンチコート【2】)に書きました。

 

以上の背景を組み合わせて考えた時に、

第1次世界大戦中のBarbourは、ミリタリー・クロージングそのものよりもむしろ、この「インナー・ライニング素材の開発」を主導することで、英国軍に大きく貢献していたのではないか。

と僕は考えています。

 

いぞれにせよ、

第1次世界大戦で軍に協力していたBarbourですが、バーバリーやアクアスキュータムのように、それによって名を馳せた形跡はほとんど残っていません

 

それよりも、

Barbourの名を一躍世界に知らしめたのは、その20年後に勃発した「第2次世界大戦」でした。

 

【2】第2次世界大戦とBarbour 〜U-ボートの脅威〜

第2次世界大戦において、英国をはじめとする連合国を苦しめたのは、どこに出没するか全く予想のつかない、ドイツの潜水艦でした。

その潜水艦は「U-ボート」と呼ばれ、とにかく恐れられていました。

※U-ボートは「Unterseeboat(ウンターゼー・ボート)の略で、「水の中の船」と言う意味です。

 

戦後、英国首相のウィンストン・チャーチルが当時を振り返り、

「私が本当に恐れたのは、U-ボートの脅威だけである。」とコメントしたと言います。

 

第2次世界大戦中、英国がいかにして「U-ボート」の脅威に打ち勝ったかについての壮絶な実話は、映画『イミテーション・ゲーム』の中で忠実に描かれています。

これは本当に面白いので、興味がある方はぜひ見てください。

 

話が逸れたので元に戻しますが、

 

当時そんなギリギリの精神状態の中、ドイツ軍のU-ボートの脅威と戦っていたのが、英国海軍の潜水艦部隊でした。

 

その中のひとつに、「ウルスラ号」という潜水艦が存在しました。

 

【英国海軍潜水艦ウルスラ号】

 

 

【3】ジョージ・フィリップス大佐とウルスラ・スーツ

その潜水艦「ウルスラ号」を率いていたのが、ジョージ・フィリップス大佐です。

 

ジョージ・フィリップス大佐は、浮上時に海面すれすれの艦上でウォッチ任務にあたる将兵達が、目立たないように首にタオルを巻いて帽子を被って任務にあたっているのを見て、

 

「この任務に適した、何かいいユニフォームはないものか。」と頭を悩ませていました。

 

ある時、

同じウルスラ号の乗務員だったレイキン中尉と話していると、彼が大のバイク好きで、レースに出る時にBarbourのモーターサイクル・スーツを愛用していることを知ります。

この頃すでにBarbourは、モーターサイクル・ウェア分野で成功し始めており、バイク好きの間でその機能性の高さはお墨付きでした。

 

フィリップス大佐は、すぐに実物を持ってくるように指示します。

 

レイキン中尉が愛用していたのは、オイルドクロスのワンピース型で、いわゆる「つなぎ」でした。

 

フィリップス大佐は、レイキン中尉につなぎを着て立たせ、消火栓で水をかける実験を行いました。

 

その結果は想像以上で、激しい水圧にも関わらずオイルド・スーツの中は全く浸水していなかったのです。

 

この結果に満足したフィリップス大佐は、自らサウスシールズのBarbourまで足を運び、オイルドクロスの軍服をオーダーします。

 

その際、

レイキン中尉のつなぎを元に、それを上下に分解したり機能的に変更を加えていったそうです。

 

そして、

この時出来上がったスーツこそ、その後潜水艦乗組員たちから絶大な信頼を受けた、Barbour製「ウルスラ・スーツ」です。

 

【The Royal Submarine museum に展示されている、オリジナル・ウルスラ・スーツ】

【ウルスラ・スーツを着たジョージ・フィリップス大佐】

 

この「ウルスラ・スーツ」の特徴としては、

■オイルドクロスの上下2ピースであること。

■フードがついており、襟元はストラップできっちり締められるようになっていたこと。

■ミリタリー向けだった為、チェック柄の裏地ではなく、厚手のコットン・ドリル地が使用されたこと。

■そこに個人名入りの無地ラベルが付いていたこと

などが挙げられます。

 

このウルスラ・スーツをはじめとして、Barbourはこの第2次世界大戦時代に多くのミリタリー・クロージングを製作しています。

 

そしてその多くが、モーターサイクルジャケットを改良したものでした。

 

こうして、

モーターサイクル・ウェアでの成功がきっかけとなり飛躍したBarbourは、この第2次世界大戦中のミリタリー・クロージングの受注で、その名をさらに世界へと広げていったのです。

 

 

次回はいよいよ、『Barbour(バブアー )物語 最終話』です。「王族に愛されたBarbour」と題し、全てのロイヤル・ワラントを獲得したBarbourの栄光の時代にスポットを当てて行きます。

 

どうぞ、お楽しみに。
【参考文献】

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