バブアーの歴史 〜History of Baubor〜【完全版】

 

バブアー(Barbour)の歴史

〜History of Baubor〜

【完全版】

 

こんにちは☆

いつも「洋服屋の一生モノブログ」をご覧いただき、本当にありがとうございます!

ブログ運営者のタニヤンです☆★

この記事は、昨年連載記事として4回に分けて書いた「英国人が認めたタフな服〜バブアー物語 〜」を「バブアーの歴史【完全版】」として1つに再編集したものです。

☟過去の連載☟

英国人が認めたタフな服〜バブアー物語〜 【1】

英国人が認めたタフな服〜バブアー物語〜 【2】

英国人が認めたタフな服〜バブアー物語〜 【3】

英国人が認めたタフな服〜バブアー物語〜 【最終章】

僕のブログは、1記事平均3,000字近くあるものが多く、再編集すると10,000字近くになるので、最後まで読むのはボリューム的にキツイかもしれません(汗)

少しずつ読みたい方は、今まで通り上記のリンクから個別にご覧ください☆★

【序章】

オイルドクロスの「ハンティングジャケット」や「モーターサイクルジャケット」と言えば、男性ならピンとくる人も多いと思います。

正直、女性が好んで着る上着とは言いにくいので、女性にはイメージが湧きにくいかもしれませんね。

オイルドクロスとは別名「ワックスドコットン」とも呼ばれ、緊密に織り込まれたコットン製の布地にオイルを何層にも重ね、染み込ませた防水生地のことです。

そして、この生地を発明し、20世紀のイギリスにおいて、漁師から英国軍・旅行者、競技者、海外駐在者、果ては王族・貴族に至るまで、ほぼ全ての英国人の需要を満たした小さな店が、今もイングランド北東部サウスシールズという港町にあります。

その名は、「Barbour(バブアー )」

ということで、今回はここ10年で日本でもすっかり定着した「オイルドクロス」の生みの親「Barbour」が持つ120年という長きに渡る歴史を辿っていきます。

興味がある方は是非、最後までお付き合いくださいね☆

【1】Barbour(バブアー )誕生の地 サウス・シールズ

Barbour(バブアー )の創業者は、スコットランド出身の「ジョン・バブアー」

【Barbour(バブアー)の創業者ジョン・バブアー 】

そのジョンが、防水衣料を扱う小さな店を開いたのは1894年のことです。場所はイングランド北東部、タインアンドウェア州を流れるタイン川河口付近の港町でした。

タイン川をはさんで北側がノース・シールズ、南側がサウス・シールズです。

ジョン・バブアー が開いたこの店は、南側のサウス・シールズに今でもちゃんと残っています。

【イングランド・サウスシールズ】

バブアーがあるイギリスの東海岸側は、北海を挟んでヨーロッパ大陸と向かい合う形になっています。

この北海を中心とした漁場では、タラとニシン漁が盛んに行われていました。

【北海沿岸のニシン漁】

イギリスといえば、「フィッシュ&チップス」が有名ですが、その「フッシュ」がタラです。

【フィッシュ&チップス】

当時、荒れ狂う極寒の海に出て行く漁師達が身を守るために着込んでいたのが、ジョン・バブアー が提供していたオイルドクロス製の防水服でした。

この他にもサウスシールズは、古くから造船業が発達した町で、規模の大小に関わらず出船・入船がひっきりなしだったといいます。

特に東寄りの風が吹いて海がシケると、港は波除けの船でいっぱいになりました。

ジョン・バブアー は当初、この港町でオイルドクロス製の防水衣料を行商して歩いていたのです。

その後、店を開いたジョンの最初の客になってくれたのは、農家の人や、その農家を訪ね牛乳を買い集める「ミルクマン」と呼ばれる人たちだったといいます。

防風・防水機能に優れたオイルドクロス製の衣料は町中で話題になり、炭坑で働く坑夫や林業に関わる人たちが顧客に加わります。

さらには、碇(いかり)、ケーブル、ロープ、ブロック、マストなど船にまつわる仕事をする人たちが店にやってくるようになり、その船に乗って漁に出る漁師たちもバブアーの防水服に大きな信頼を寄せていました。

こうして、バブアー のオイルドクロス製防水衣料は、サウスシールズの町になくてはならないものとして地元の人々に認知されていったのです。

【2】オイルドクロスのオイル

今見てきたように、イングランド北東部の港町サウスシールズにおいて、外で働く者たちにはオイルドクロス製の防水服が必要不可欠でした。

一方で、「自分が提供する衣料で少しでも快適に働いてほしい」という熱い想いを、当然ながらジョンも抱いていました。

ジョンは防風・防水機能をより高める為に、布地に引くオイルについての試行錯誤を繰り返しました。

すでに述べたように、オイルドクロスとは、コットン製の布地の上に、オイルを何層にも塗り重ねて染み込ませたものです。

オイルを温めて溶かし、生地にまんべんなく塗っては乾かす…この工程を少なくとも7〜8回は繰り返さないと、防風・防水の用が足りる服は到底できあがりません。

オイルがさらさら過ぎても具合が悪いし、逆に粘土が高すぎてもうまく布に広がりません。

満足のいくオイルの配合が決まるのには、相当な時間と経験を積み重ねるしかありませんでした。

創業当初使っていたのは、北海で水揚げが多かったタラの肝油だったと言います。

しかし、これは防風・防水性には優れていましたが、とんでもない悪臭を放ったそうです。

その後、タールや蜜蝋を使っていた時代があり、80年代ごろには布の耐久性を増す目的で、オイルに銅を添加して引いていたとも言われています。

現在のBarbour社製オイルド・ジャケットにおいて、臭いの問題はほぼ解消されています。

使われているオイルやその配合については、企業秘密だそうですよ。

なにはともあれ、ジョン・バブアーが「Barbour」を創業した19世紀末、その防水能力の高さや頑丈さを肌で感じ、絶大な信頼を寄せた人たちは、荒れ狂う北海に繰り出す船の上にいたのです。

そして、この小さな港町で評価を得た防水衣料が、その後英国軍や王族・貴族に重用されるまでになろうとは、この時点では誰も考えもしなかったことでしょう。

創業者のジョン・バブアーでさえも…

【3】Barbour飛躍の時 〜2代目マルコムの手腕〜

時代が20世紀に突入した頃、店の経営は2代目のマルコム・バブアーに引き継がれていました。

そして1908年、マルコムは「Barbour」として初めてのカタログを出します。

地方のいちメーカーがカタログを発行するだけでも珍しかったこの時代に、Barbourはなんと、それを世界に向けて発送したのです。

ただこれには、この頃の英国の今とは違う国情が大きく関係しています。

19世紀半ばから20世紀初頭の英国は、今と違い「大英帝国」として各地に植民地政策を展開しており、広く世界情勢を見ても「帝国主義」の時代でした。

欧米列強の圧力から、日本で明治維新が起こったのも1868年のことですので、この時代とリンクします。

下の図の赤く色掛けされた部分が、20世紀初頭における英国の領土です。

※画像は Webから転載

 

これだけの領土を当時の英国は植民地として持っていたのです。

そして、これは同時に、この時代それだけ多くの英国人が世界各地に出掛けていったということも意味します。

つまり、2代目マルコムがこのタイミングで世界に向けて(正確には、世界中の英国植民地に向けて)カタログを発行したのには、時代背景に沿った明確な意図があったと言えるでしょう。

カタログの内容は、多くの需要をカバーするものでした。

一例をあげておきます。(画像は全て拡大できます)

【バイク用スーツ】

【乗馬用コート】

【軍事用コート】

【アウトドア用ウェア】

  

こうして見ていくと、「需要に応じて何でもお受けいたしますので、まずはご相談ください。」といった感じですね。

さらに、カタログの認知度が広まり出すと、海外在住者の求めに応じて必要な物資を調達して送るという「バブアー・バイイング・サービス」というビジネスに着手するなど、良いと思った事はすぐに行動に移し、バブアーの知名度を世界中に広める努力を惜しみませんでした。

【海外居住者向けのバイイング・サービス】

とにかく、マルコム・バブアーの経営手腕は相当優れていたと言われています。

そんなマルコムの努力が身を結び、1920年代までにBarbourの知名度はぐんぐん上昇していきます。

そして、そんな様々な需要に真摯に答え続けた結果、その中のひとつのカテゴリーが「Barbour」が世界へ飛躍するための扉を開けてくれることになります。

それが、「モーターサイクルジャケット」でした。

【4】Barbour飛躍の時〜モーターサイクルジャケットの傑作〜

Barbour(バブアー)の歴史にとって、「モーターサイクルジャケット」は、世界への扉を開けてくれた重要なアイテムです。

結論から先に言ってしまうと、1936年から1977年までの英国の世界選手権レースに参加したモーターサイクル・チームのほぼ全員が、Barbourのモーターサイクルジャケットを着用しました。

【1930年頃に撮影された英国のライダーたち】

そんな「モーターサイクルジャケット」の製品開発を軌道に乗せたのは、2台目マルコム・バブアーの息子であるダンカン・バブアーでした。

ダンカンの願いは「バイクというスピードが出る乗り物を、どのような気候条件の中でも快適に運転できるウェアの開発」でした。

彼自身がレースに参加するほどの本格的なバイク乗りだったことも功を奏し、試作品を作るごとにそのクオリティは高まっていきます。

そして、開発を押し進める中で困った時に助けとなったのが、先代が開発した過去の製品でした。

直接役立ったのは「デューンムル・ジャケット」なるもので、これはブリザードが吹き荒れる中を、2輪の運搬バイクを運転して仕事をする人の為に開発された防風・防水コートだったそうです。

【バイクライダー用 ツーリング・コート】

先代が過去に地元の人々の為に開発した貴重なアーカイブに、ほとんど全ての答えが残されていました。

過去のそれは、襟の形、フロントの合わせ、ポケットの位置とサイズ、ストラップで閉じる箇所など、防水・防風の機能をほぼ完璧に捉えて作られていたのです。

ダンカンはそれを踏襲する形で懸命に開発を進め、1936年、ついにモーターサイクルジャケットの歴史的傑作を世に放ちます。

その名は、「インターナショナル」

現在も「ビューフォート」「ビデイル」と並び、絶大なる人気を持って堂々とラインナップされている Barbourの名作中の名作は、このような時代背景の中で誕生していたのです。

【Barbour インターナショナル】

※画像はWebから転載

1954年に開催された6日間トライアルでは、オーストリア・ベルギー・オランダ・アイルランド・スウェーデン・スペインと世界各国から参加した選手の7割以上が、Barbourの「インターナショナル」を着用したと言われ、

その3年後のスコティッシュ・トライアルでは、なんと全員がこれを着用したとも言われています。

さらに、1964年のトライアルでは、ハリウッドスターのスティーブ・マックイーンが「インターナショナル」を着用してレースに参戦しています。

【Barbourを着用した スティーブ・マックイーン】

※画像はWebから転載

この時すでに、モーターサイクル分野にBarbourは無くてはならない存在となっていました。

そして、その需要はモーターサイクル分野にとどまらず、軍や警察のパトロール部隊へと広まっていくのです。

【5】第1次世界大戦とBarbour

1914年〜1918年に起こった第1次世界大戦時、バーバリーやアクアスキュータムと同じように、Barbourも英国軍に協力しミリタリー・クロージングを提供していました。

下の1917年のカタログを見ると、確かにオイルドクロスのトレンチコートを生産しています。(赤いマーカー部分)

【1917年のカタログより】

しかし、この時は、バーバリーやアクアスキュータムのトレンチコートの陰に隠れ、Barbourはそれほど戦地で重宝された形跡が見当たりません。

当時はまだ知名度がそれほどあったわけではないでしょうし、生産規模も小さかったでしょうから、当然と言えば当然です。

それよりも僕が注目したいのは、当時戦場で着られたトレンチコートの裏側に標準装備されていた、着脱式の「インター・ライニング」です。

今、僕たちが〝ライナー〟と呼ぶあれです。

このインター・ライニングに採用されていた素材が「オイルド・シルク」だったことが、記録に残っています。

※詳しくは、過去の記事(第1次世界大戦とトレンチコート【2】)に書きました。

以上の背景を組み合わせて考えた時に、

第1次世界大戦中のBarbourは、ミリタリー・クロージングそのものよりもむしろ、この「インナー・ライニング素材の開発」を主導することで、英国軍に大きく貢献していたのではないか。と僕は考えています。

いぞれにせよ、第1次世界大戦で軍に協力していたBarbourですが、バーバリーやアクアスキュータムのように、それによって名を馳せた形跡はほとんど残っていません。

それよりも、Barbourの名を一躍世界に知らしめたのは、その20年後に勃発した「第2次世界大戦」でした。

【6】第2次世界大戦とBarbour 〜U-ボートの脅威〜

第2次世界大戦において、英国をはじめとする連合国を苦しめたのは、どこに出没するか全く予想のつかない、ドイツの潜水艦でした。

その潜水艦は「U-ボート」と呼ばれ、とにかく恐れられていました。

※U-ボートは「Unterseeboat(ウンターゼー・ボート)の略で、「水の中の船」と言う意味です。

戦後、英国首相のウィンストン・チャーチルが当時を振り返り、「私が本当に恐れたのは、U-ボートの脅威だけである。」とコメントしたと言います。

第2次世界大戦中、英国がいかにして「U-ボート」の脅威に打ち勝ったかについての壮絶な実話は、映画『イミテーション・ゲーム』の中で忠実に描かれています。

これは本当に面白いので、興味がある方はぜひ見てください。

話が逸れたので元に戻しますが、

当時そんなギリギリの精神状態の中、ドイツ軍のU-ボートの脅威と戦っていたのが、英国海軍の潜水艦部隊でした。

その中のひとつに、「ウルスラ号」という潜水艦が存在しました。

【英国海軍潜水艦ウルスラ号】

【7】ジョージ・フィリップス大佐とウルスラ・スーツ

その潜水艦「ウルスラ号」を率いていたのが、ジョージ・フィリップス大佐です。

ジョージ・フィリップス大佐は、浮上時に海面すれすれの艦上でウォッチ任務にあたる将兵達が、目立たないように首にタオルを巻いて帽子を被って任務にあたっているのを見て「この任務に適した、何かいいユニフォームはないものか。」と頭を悩ませていました。

ある時、同じウルスラ号の乗務員だったレイキン中尉と話していると、彼が大のバイク好きで、レースに出る時にBarbourのモーターサイクル・スーツを愛用していることを知ります。

この頃すでにBarbourは、モーターサイクル・ウェア分野で成功し始めており、バイク好きの間でその機能性の高さはお墨付きでした。

フィリップス大佐は、すぐに実物を持ってくるように指示します。

レイキン中尉が愛用していたのは、オイルドクロスのワンピース型で、いわゆる「つなぎ」でした。

フィリップス大佐は、レイキン中尉につなぎを着て立たせ、消火栓で水をかける実験を行いました。

その結果は想像以上で、激しい水圧にも関わらずオイルド・スーツの中は全く浸水していなかったのです。

この結果に満足したフィリップス大佐は、自らサウスシールズのBarbourまで足を運び、オイルドクロスの軍服をオーダーします。

その際、レイキン中尉のつなぎを元に、それを上下に分解したり機能的に変更を加えていったそうです。

そして、この時出来上がったスーツこそ、その後潜水艦乗組員たちから絶大な信頼を受けた、Barbour製「ウルスラ・スーツ」です。

【The Royal Submarine museum に展示されている、オリジナル・ウルスラ・スーツ】

【ウルスラ・スーツを着たジョージ・フィリップス大佐】

この「ウルスラ・スーツ」の特徴としては、

■オイルドクロスの上下2ピースであること。

■フードがついており、襟元はストラップできっちり締められるようになっていたこと。

■ミリタリー向けだった為、チェック柄の裏地ではなく、厚手のコットン・ドリル地が使用されたこと。

■そこに個人名入りの無地ラベルが付いていたこと

などが挙げられます。

このウルスラ・スーツをはじめとして、Barbourはこの第2次世界大戦時代に多くのミリタリー・クロージングを製作しています。

そしてその多くが、モーターサイクルジャケットを改良したものでした。

こうして、モーターサイクル・ウェアでの成功がきっかけとなり飛躍したBarbourは、この第2次世界大戦中のミリタリー・クロージングの受注で、その名をさらに世界へと広げていったのです。

【8】ロイヤル・ワラントという栄誉

英国には、「ロイヤル・ワラント」という制度があります。正確には「ロイヤル・アポイントメント制度」と呼ばれ、正式に制度化されたのは、1840年のことです。

この「ロイヤル・ワラント」というのは英国特有のもので、簡単に言うと「英国王室御用達」という意味です。

【エリザベス女王を中心とする、英国ロイヤル・ファミリー】

と言っても、日本の「皇室御用達」とはかなり性格が異なっています。

日本で「皇室御用達」と言うと、ただ単に茶菓子なりお香なりが皇室によって買い上げられているという事実に過ぎないですが、英国ではこの「ロイヤル・ワラント」が与えらたと言うことは、王室がその商品なりサービスを利用しているということにとどまらず、その会社や商店は「王室の紋章を商品やパンプレットに自由に利用することが出来る権利」を与えられるのです。

これは日本の会社や商店が、皇室の「菊の御紋」を自社の宣伝の為に自由に使える権利を与えられたことと同じです。日本ではそんあことありえませんよね。

この「ロイヤル・ワラント」を下賜できる権利を持っているのは英国王室の人間と言えども3人だけで、この3人に認められた会社や商品は最大3つのロイヤル・ワラントを保有できます。

①英国王

→現在はエリザベス女王

【エリザベス女王の紋章】

②英国王の配偶者

→現在はエリザベス女王の夫、エジンバラ公

【エジンバラ公の紋章】

③皇太子

→現在のプリンス・オブ・ウェールズ(チャールズ皇太子)

※「プリンス・オブ・ウェールズ」は、伝統的にイギリス王家の長男が名乗る称号です。

ちなみに、次男は「プリンス・オブ・ヨーク」、三男は「プリンス・オブ・ケント」です※

【プリンス・オブ・ウェールズの紋章】

そして、「英国王室御用達」が日本の「皇室御用達」と決定的に違う点は、「かつて一度だけお買い上げいただいた。」というような〝昔話〟ではないということです。

原則として、最低でも10年の継続的取引があってはじめて「ロイヤル・ワラント・ホルダー」に相応しいかどうかの審査が始まり、その審査を無事通過すると、「勅許状」としてロイヤル・ワラントが下賜されるという仕組みになっています。

このように厳格な審査を見事に通過して、ひとたびこの「ロイヤル・ワラント・ホルダー」になれば、王室は必ずその製品を日常生活・公式の用を問わず使用してくれます。

そして、こうなれば同業他社は割り込むことが大変難しくなり、商売上かなり優位な立場に立てるということを意味しています。

しかし、それでも決して安泰というわけではなく、「ロイヤル・ワラント」には条件が細かく明記されており、もしその条件が変われば返還を求められます。

つまり、もし職人の技能が落ちたり後継者が育たなかった場合、容赦なく「ロイヤル・ワラント・ホルダー」の地位を剥奪されるということです。

その為、英国には、このロイヤル・ワラント・ホルダーだけの連合会が存在します。

独自の事務所を持ち、そこに互選された役員達が定期的に召集され、そこで「ロイヤル・ワラント・ホルダー」としての品位の保持、商品やサービスの品質向上などが真剣に話し合われています。

このように、本当に大変なのは任命されてからの品質保持や技術継承の方で、この構造が英国製品の質の高さを下支えしていると言っても良いでしょう。

「英国王室御用達」と言っても、決して楽なものではないのです。

【9】全てのロイヤル・ワラントを保有する「Barbour」

そんな栄誉を3つとも授かった英国でも数少ないメーカーが、「Barbour」です。

『Barbour(バブアー )物語【2】』・『Barbour(バブアー )物語【3】』で見てきた通り、Barbourは20世紀初頭〜20世紀半ばにかけて、モーターサイクル分野での成功と第2次世界大戦でのミリタリー・クロージングの提供で知名度とその品質の高さを証明していった歴史を持ちます。

そして、極め付けがこの「3つのロイヤル・ワラント」獲得です。

このロイヤル・ワラント獲得の大きな要因は、「乗馬用ジャケット」と「ハンティングジャケット」にあるでしょう。

英国では古くから王族・貴族を中心にハンティング、乗馬、バード・ウォッチング、フライ・フィッシングといったアウトドア・スポーツが高貴なものとして生活の中に息づいています。

こういったアウトドア・ライフを趣味にしていることが、その人の信頼と人間性を高めることにもなり、ただ単に趣味の問題として片付けないところが、いかにもイギリスらしくて良いところでもあります。

そして、これらのアウトドア・スポーツを楽しむ際に、抜群の機能性はもちろんのこと、女王をはじめとするロイヤル・ファミリーが求める品格も兼ね備えていたのが、「Barbour」のアウトドア・ウェアだったのです。

機能面はこれまでの記事の中でずっとご紹介してきたので、改めて言うまでもないことですが、

Barbourの生地に使われているオイルは『ソーン・プルーフ・ドレッシング・オイル』というもので、「ソーン」すなわち茨(いばら)をも防ぐという意味が込められています。

Barbourのオイルド・コットン製の防水生地は、ハンティングやフライ・フィッシングで山や渓流に足を踏み入れる祭、茂みや岩と言った危険な環境から体を守り、突然の雨にも耐えうるという、非の打ち所のない機能性を持っていたのです。

さらには、野外といえどもネクタイを着用することが多いロイヤル・ファミリーにとって、Barbourが醸し出す品の良い雰囲気は、彼らのスタイルにも違和感なく馴染んだし、セージ・グリーンという独特の色味は田園風景にも見事にマッチしました。

こうしたことから、エリザベス女王とその夫のエジンバラ公、そしてチャールズ皇太子の3名ともが「Barbour」を公私ともに愛用しています。

まずは、1974年にエジンバラ公から1つ目のロイヤル・ワラントを授けられます。

【1ワラント時代(1974年〜1981年)】

続いて、1982年にエリザベス女王から2つ目のロイヤル・ワラントを。

【2ワラント時代(1982年〜1986年)】

そして1987年、チャールズ皇太子から3つ目のロイヤル・ワラントを授かります。

【3ワラント時代(1987年〜現在)】

こうしてBarbourは、3つ全てのロイヤル・ワラントを掲げる英国でも数少ない名誉あるメーカーとなりました。

そして、現在においても品質を決して落とすことなく、その実力を世界に見せつけているのです。

【10】僕が愛用しているオイルドクロスのハンティングジャケット

最後に、僕が長年愛用しているオイルドクロスのハンティングジャケットをご紹介して終わりにします。

僕が6年間、愛用しているのは「Brooks Brothers」のオイルドクロスのハンティングジャケットです。

 

【Brooks brothersのオイルド・ジャケット】

生地に使われているのは、Barbourのものと全く同じオイルド・コットンです。

毎年秋口になると、自分でオイルを塗り直して着ているため、ポケット周りなど、かなりいい雰囲気になってきました。

この部分、かなり気に入っています。↓↓

裏地には、これまた英国の伝統的チェック柄である「タッターソール・チェック」が貼られており、とても良い雰囲気です。

このオイルド・ジャケットは、僕の自慢の〝一生モノ〟のアウター・ウェアです。

これからも大事に手入れをして、10年・15年と一緒に時を過ごしていきたいと思っています。

【参考文献】

 

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